友人が友人であり続けるための条件
今から10カ月ほど前、昨年2月にこんな記事を書いた。
これはnoteを含むWeb上でのお付き合いにおいて、続く人と続かない人との基本的な違いについて述べたもので、リアルなお付き合いと何も変らないものがあるという趣旨のもの。
リアルもWebもどちらも人とのお付き合いが長く続くための条件は、私は「共通の共感」があるかないかに尽きると思っている。
言いかえれば共感できる何かがなければ続かず、そこにはお互いの歩み寄りは必要であり、ただ会って食事をするだでは成り立たないのが人とのお付き合いの正体だ。
この結論は、私が今までの人生で学んだ鉄則かもしれない。
今までこのnoteでも著書でも何度か書かせていただいてきたが、特に女同士の食事会やお茶会は、結局は誰かの「悪口」になりがちで、あるいは家族の話題ばかりになり「謙遜」か「自慢」かの話にたどり着く。
いつ会っても進展のない話に落ち着いてしまうのが常である。
それでも、友人とはそんなものだろうと思い込み、長い間疑いもせず人間関係を続けていたが、ふと疑問に思う瞬間が訪れたのはいつの事だろうか。
いや、ずいぶん早い時期に「疑問」に思っていたのだが、それが「確信」に変わったのは、何といっても私のお出かけサークルである「レキジョークル」の存在である。
結成からすでに13年の月日が流れているが、その前身となる様々な活動から換算すると、すでに25年という歳月を数える。
こんなにも長く続いたのには、ひとえに「共通の共感」が常に存在していたからだ。
今回はそれを確信する事があったので、それを書いてみたい。
ランチのついでにもう一つ
noteでは今年の5月、丹波篠山へのバス旅行で初登場だったペコちゃんと、先日またランチへ行った。
またというのは、それまでも会ってはいたがnoteで公表していなかっただけの事である。
というのも私は、他の人ともランチへ行ったりちょっとしたお出かけはしていても全てを投稿しているわけではなく、記事になりそうな思うところがあった場合のみしか挙げていないが、実際には結構ちょくちょくお出かけはしている。
天六の「ニクローチェ」
「天六」とは天神橋筋六丁目のこと。
大阪市北区に天神橋一丁目から六丁目まであり、南北1.8 kmに伸びる日本一長いアーケード商店街が通っていて、ランチはそこからほど近い店を選んだ。
ご存じの通り、私は食レポは苦手なので記事にすることはあまりない。
美味しければそれで良しで、マズければ二度と行かないまで。
基本的に料理の能書きよりも会話を楽しむタイプで、私にとって料理は脇役でしかなく、誰と会って何の話をしたかに重点を置き、料理をメインに行き先を決める事はまずない。
この日もペコちゃんに会うために選んだのがこの店だったが、なんとなくネットで見ただけのわりには大正解だったといえる。
この日のスタートとしては申し分のない店だった。
大阪くらしの今昔館
天神橋筋商店街の北の端に位置し、ランチの店から歩いて約5分ほどなので、散歩にもならないほど近い。
「ウルユス」てなんや?
写真右上の「合薬屋」の店奥にある大きな看板の意味が皆目わからなかったのだが、定期的に上映されていた説明により、その謎が解けた。
要約すると「ウルユス」とは薬名で、日本初の洋名売薬で大坂や江戸で約一世紀にわたりよく売れたらしい。
この名の由来がまた面白く、
ー体の悪いものを出して空にするー
と言う意味から、旧字体の「𫞹ス」をバラバラにして、上から順に「ウ・ル・ユ・ス」としたという。
いやいや、それはわからんて💦
ひねりすぎやろ
文化8年(1811)に発売されたのだが、江戸時代にカタカナ名というだけでも珍しいものだったはずだ。
写真右下は風呂屋の再現コーナーで、赤い唐破風のついたところが「ざくろ口」と言って、中には湯舟がある。
湯気が逃げないよう下半分のみが開いていて、そこを屈んでくぐるという。
こういうところにも小さな知恵が見られるが、昔はなんと混浴だったと聞いて、超驚いた。
他にも「裏長屋」「小間物屋」「唐物屋」などの原寸大の再現が展示され、時代小説や時代劇などでしか知らなかった当時の人々の生活を目の当たりにしたようで、なんとも興味深いものがあった。
たった19秒のショート動画。
大阪の夜空に流れ星や渡り鳥の群れを見れたなんて、まったく信じられない。
実はバンドボーカルのペコちゃん
昔、初めて聞いた時には私も驚いたが、ペコちゃんは同じ高校出身の人たちとバンドを組んでいて、しかもメインボーカルをしている。
(私とは別の高校)
他の多くのバンドと共同で年1回、ライブハウスを借り切ってミュージックフェスを開催して自分たちの音楽の発表の場としている。
今年は8月の終盤に某所で盛大に行われ、私も一観客として堪能してきた。
ちょうど腰を骨折する直前だった💦
堂々としたステージは別人のような…と言いたいところだが、残念ながら舞台上でスポットライトを浴びていようが、私の知るペコちゃんと1ミリも変わらない。
本人は緊張したとか言ってはいるが、そのまんま地の彼女である。
いくら無名の素人バンドであっても、友人が出ているとなれば見ていて楽しいし感動もひとしおである。
そして、この場で発表する事を目標にグループで頑張っている姿はやはり美しいと思う。
彼女もまた自分の「好き」を大切に持ち続けている。
「好き」の中のひとつを共有するということ
今回、ペコちゃんと会ったのは夏のライブ以来だったので、約3カ月ぶり。
本当はもう少し遠出をして、どこかの神社仏閣へでも行こうかと思ったが、なにせ寒い上、私もまだ骨折の後遺症がまだ少しあるため、断念せざるを得ず近場で過ごすことにした。
それでも45年来の旧知の友人となら、会わない期間がどんなに長かろうがどこに行こうが、一瞬で共感し合えるほどの有意義な時間を過ごせてしまう。
意外にも、何気なく来年は「東大寺」エリアを深堀りしたいという話をすると、ペコちゃんも乗ってきたのである。
実はレキジョークルでは、毎年私の提案通りに予定が決まってしまうので、みんなを振り回しているのでは?と気が引けていて、来年はサークルを離れて個人的に、あるいは2人ぐらいで行きたいと思っていたのである。
そういえばペコちゃんは御朱印も集めていたし、神社仏閣には興味はあるはずで、行く意欲を見せてくれるのも当然だと思い当たり、私もうれしくなった。
今から来年が楽しみになってきた。
建設的な話ができる仲間
この日のペコちゃんは、いつものように個性的なアクセサリーを身に着けていた。
私たちは共に某デザインスクールで「彫金工芸」を学んだ事があり、お互いに彫金から離れても、それぞれがイミテーションの手作りアクセサリーを作り続けていた。
過去にランチをした時などは、そのついでに大きな手芸屋に寄って、それぞれインスピレーションにかなった材料パーツを買いあさったこともある。
ペコちゃんのアクセサリーは撮り忘れてしまったが、とにかく個性的でどこにも売っていないと一目でわかるもので、また私の中で創作意欲がフツフツと沸き上がるのを感じた。
実は20代の頃、会社員として勤務するかたわら、制作したアクセサリーをブティックやバーなどに置かせてもらい、委託販売をしていたことがある。
その頃はまだネットはなかったので、自分で営業するか紹介してもらうかで、その店のブースを借りて置かせてもらっていた。
「それ、売る方法考えてみよ!」
瞬時に自分たちの作品発表の場を作りたいと思ってしまった。
もちろん、手作りサイトのミンネやクリーマは時々チェックしてはいるが、どのデザインも比較的当たり前すぎて、私たち路線の「個性」をウリにしたいと心から思ってしまったのだ。
思わぬ刺激をくれたペコちゃんには感謝だ。
それと同時に、今後は二人共通の「好き」を何とか生かせないものかと思う。
まだまだ遅くない。
この日のランチと簡単なお出かけも、きっと良い思い出になるだろう。
そして、来年に予定している東大寺エリアの探訪もきっと楽しいものになり、思い出として積み重なってゆくことだろう。
そしてまた「共通の好きなもの」が増え、ちゃんと進展のある建設的な話に発展し、私たちのお付き合いはずっと続いていく事だろう。