花天井と千年楠の「阿保神社」
松原六社めぐり第2弾は「屯倉神社」から1キロほど南にある「阿保神社」です。
平安時代初期、51代平城天皇の第1皇子である阿保親王の邸宅があったところだと伝わります。
このあたりの「阿保」という地名は阿保親王が由来のようで、昨年、記事にした難読地名にも取り上げたのですが、現在では「阿保」と書いて「あお」と読みます。
きっと最初は素直に「あぼ」と呼んでいたはずですが、いつしか「あお」と訛ってしまったのでしょうか。
もちろん、この前は何度も通っていましたが、一見しただけでも境内は狭く、見どころはないと勝手に思いこんでいました。
ところが、狭い敷地には驚くほどの見どころがたくさん詰まっていた神社だったのです。
各所を順次改修をしているようで、まずは東向きの大鳥居が新らしくなっているのに違和感を感じました。
令和4年の日付がありましたので、一昨年に取り替えたようで、この後、裏庭に旧鳥居の残骸も見つけました。
拝殿前の狛犬もやけに新しく、じろじろ眺めていると、
「その狛犬さん、嫌いやねん!」と、後ろから声をかけられてしまいました。
「それ、違和感あるやろ? 嫌いやねん、それ。」
「前の狛犬さんは、それはそれは良かったんやけど。」
性別もご身分も公開するのは憚れるので、私の親世代の妙齢の方で、仮にAさんとしておきます。
この日はそのAさんが案内してくださり、本来ならさらっと見るだけで帰ってしまうところ、幸運にもいろいろ知ることができたのです。
対照的な2対の狛犬たち
先代の狛犬はどこに?
早速、拝殿前の狛犬について質問してみると、残念ながら何年前に取り替えたのか、先代の狛犬たちはどうなったのかはご存じなく、何もわかりませんでした。
ただ確実なのは廃棄されたのではなく、今もどこかの神社で現役だとのことでした。
阿形・吽形ともに、しかめっ面で怖い表情の上、毛並みも派手で全体的に迫力があります。
瞳の「緑」と鼻の穴と口中の「赤」が浮いているように感じるのは私だけでしょうか。
ちょっとネットで検索して何名かのブログを見た限りでは、2017年には新しくなっていたようで、最低でも7年ぐらいは経っているようです。
ただし、新しいのは狛犬たちだけで、台座は先代の狛犬の時のままのようなので、文字を読もうとしましたがこれがまた劣化して難読です💦
境内社の狛犬たち
本殿の北隣にいかにも古そうな小鳥居があり、その中には「阿保親王社」と「厳島神社」という2つの境内社がありました。
そしてそれら境内社を護るように小さめの古い浪速狛犬が鎮座されています。
部分的にヒビやハガレがあり、状態はあまりよくありません。
本殿前の新しいド派手な狛犬に比べると、いかにも歴史を感じ、味のある狛犬たちです。
Aさんが「たぶん江戸後期ぐらいやと思う。」と言いながら狛犬の頭を撫でる愛おしそうなしぐさが印象的でした。
komajinさんのアドバイス通り、ライトを斜めから当てて影を作ってみましたが、それでも読む取るのは難しいです💦
そもそも私は知識がなく、致命的に旧字体を知らな過ぎるからいけない。
阿保の大地に根を張る千年楠
境内には3本の大楠
本殿の真裏には二本の大楠がひっそりとそびえていました。
それらはびっくりするほどどっしりとして、あまりにも堂々としていたので、思わず息を飲むほどです。
ご神木の大楠は「樹齢1100年」と案内板がありましたが、夫婦楠の方は明記されていないのでAさんに樹齢を訪ねると、
「おんなじようなもんちゃう?」とのこと。
へぇ~阿保神社の楠も大したもんだ!と驚いていたのですが、後日調べてみると、まったく違いました💦
見た目は「夫婦楠」も「おんなじようなもん」ですが、夫婦楠が意外と若い事に驚きました。
頼ンますわ、Aさん
むしろ社務所横の方が古いとは!
くねくねとうねる様なコブができるものと真っ直ぐ伸びるのとは、どんな条件の違いによるのか?検索してみると次のような記述を見つけました。
なるほど、「かさぶた」とは。
あらゆるアクシデントと戦った歴史みたいなものなのですね。
かつての社域は千坪もあった?
当社のHPによると、阿保親王の邸宅時代は約千坪だったとあり、現在は見た目の憶測で一辺が約40mとしたら1600㎡、484坪となるので半分ぐらいになっています。
Aさんに元の社域を聞くとボヤっとした答えが返ってきました。
「ここら一体の住宅街みんなや。あっちの車道あたりまで。」
ここら一体というのが曖昧の上、「あっち」「そっち」の「こそあど言葉」が多くて区域が特定できなかったのですが、Aさんのお話から私が憶測すると下図の黒枠ぐらいだと思われます。
Aさんの話が真実なら、親王の邸宅時代から一時は約8倍にもなっていたことになる?
そして黄色く示した車道の工事の時に地面を掘り起こしたら、そこに阿保神社の千年楠のものとみられる立派な根が出てきたとのことでした。
そこまで直線距離にして約300m、まだその先にも伸びていると想定され、それが阿保神社を中心に360度張り巡らされていると思うと、今もなお阿保地区一帯をしっかり抱えるように支え続けているわけで、まさしく町の守り神であり本当の意味の「ご神木」だと言えます。
この大楠は1200年も前に阿保親王お手植えだとも伝わっており、それも真実なら、楠の持つ強大な生命力が、千年の時を超えて親王が今もこの地を護り続けている証明のように思われ、胸が震えるような思いがしました。
ただ、周りはギリギリまで民家が迫っているため、そちらに伸びる枝はことごとく切り落とされ、無残な切り口がたくさん見られました。
「仕方ない事やけど、涙出てしゃーないねん。」
と言いながらAさんは目を潤ませておられました。
拝殿にも見どころあり
現在の本殿は、当社HPによると慶長13年(1608年)に再建、平成7年(1995年)に改修されたとあります。
こちらも前回の「屯倉神社」と同じく、菅原道真公をお祀りしています。
柱が2本で間口が1つの切妻屋根の正面が庇のように前へ張り出した「一間社流造」です。
一見すると小さな本殿~拝殿ですが、ちょっと驚く見どころが2か所ありました。
圧巻!48枚の花卉図
拝殿に一歩入って見上げると、見事な「花天井」になっていました!
横6枚、縦8枚で合計48枚もあります。
「かなり(色が)落ちてるやろ。」
と、Aさんは残念そうにされていましたが、十分に美しいものでした。
誰の筆か?何年のものか?何も詳細はわからないのですが、江戸後期あたりの作だと言われています。
約200年前だと仮定すると、その割には保存状態は良く、色こそ鮮明さを欠いていますが、花の様子はハッキリとわかり綺麗に残されていると感じました。
ただ今年、この「花天井」を修復ではなく、ごっそり取り替える計画があるそうで、「また見に来てな。」と嬉しそうに言われました。
来るに決まってますやん。楽しみやわ~
欄間の立体彫刻に驚く
そして、出てから気付いたのですが、拝殿入り口の欄間に施された龍の彫刻の緻密さにも驚きました!
幾重にも重なった雲と龍が斜め前方に傾いていて、手前に迫ってくるような勢いがあります。
どうしてお参りの時や中へ入るときに気付かなかったんだろう?
「それな。網張ってるんやけど、網取ったらもっと迫力あるねん。」
そうでしょうとも!私も生で見たいわ。
拝殿前の気付いたこと
境内には、新旧2つの手水鉢には花アレンジがあり、拝殿にある花天井と関連付けされているようでもありました。
帰り際、境内の東南の隅に穴の開いた石碑を見つけ、同じようなものを過去に何度も見かけていながら、いったい何なのか知らずにいたので、Aさんに尋ねてみました。
「これは、この穴の方向を覗けばお伊勢さんが居てはって、そこに拝むための目印みたいなもんやで。」
おお!そうでしたか!!
なるほど~確かに伊勢神宮のある東に向いているではありませんか!
後日検索すると「遥拝所」というものらしいです。
今さらですが知ることができて喜ぶとともに、幾つになっても知らないことだらけで情けなくなりました。
まだまだ日本は奥深い。
そう実感しつつ、お付き合いいただいたAさんに感謝の言葉を述べて、阿保神社を後にしました。
【参考サイト】
・OSAKA INFO
・阿保神社
【松原六社巡りシリーズ】