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「ブギウギ」から子育てを振り返る
最近の「ブギウギ」には少々イライラしていた。
子供を職場に連れて行って、いったい誰がハッピーになるのだろう?
周りに迷惑をかけるだけではなく、子供もかなりの行動制限をされ、自由を奪われ、遊びたい盛りなのに「じっとしていろ」というのは、とても残酷な命令だと思う。
じっとしていられるわけがない。
大人の世界に子供を連れだすことで子供は窮屈な思いをし、親も子を叱らざるを得ない。
スズ子は後ろめたさ?から甘いけど💦
この当時、すでにあったはずの保育所やあるいは家政婦などを利用するのもアリだったと思うが、知らない人間に預けるのは勇気が要ったかもしれない。
ならばせっかく羽鳥の妻・麻里(市川実和子)が預かると申し出てくれたのだから、大事な撮影日だけでも甘えたらどうだろう。
愛子(小野美音)だって、羽鳥家の子供たちと一緒に遊んでいた方が楽しいと思う。
一時的に預けたからといって寝食を共にしてさえいれば、母子の関係が希薄になることはないし、頑なまでに子連れ行動するのは、ただのスズ子(趣里)の勝手な自己満足ではないか。
子連れ出勤の賛否両論
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アグネス論争
アグネス・チャンによる「子連れ出勤」の是非をめぐる論争である。
1988年の新語・流行語大賞では、「アグネス論争」が流行語部門・大衆賞を受賞した。
アグネス・チャンという香港出身の歌手を知る人はどのぐらいいるだろう。
たしか私が小学校の時にデビューして大ヒットを飛ばし、私世代の人間には有名な歌手だ。
彼女が第1子出産後に乳児を連れてスタジオ入りした「子連れ出勤」に対して「批判派」と「擁護派」の両極端の意見が飛び交った。
この1988年当時の私は、まだ子供を持つ身ではなく、親戚の子の子守経験はあるものの、本当の子育ては知らずにいたので、よくわからなかった。
それでも、なんとなく職場に連れて行くのは違うかも?
とボンヤリながら「批判派」だった。
そして子育てを終えた今、はっきりと「批判派」だと言える。
子供は親の都合など
知ったこっちゃない!
たしかにブギウギの主人公、福来スズ子のようにシングルマザーとして稼ぎながら子供を育てる大変さは想像を絶するものだ。
救世主のように現れた家政婦・大野晶子(木野花)ですが、そのモデルにあたる存在は見当たらず、実際には笠置さんが常に連れて育てていたようだ。
この当時、もちろん使い捨ての紙おむつはなく、粉ミルクも高価な上、栄養価は低い粗悪なものであり、当時の子育ては想像以上に大変だった。
しかし、子供にはそんな事は一切関係ない。
家事の大変さなど知らん顔で、親に甘えたいし、しかも自由に過ごしたいというのが基本にあり、「じっとしろ」と強要されるのは子供にとっては「拷問」でしかない。
親の都合で大人社会に振り回すことは、結局は子供の自由を奪い、怒らざるを得ない原因を作ってしまう。
ドラマを見てて、私なりの解決策は、ベビーシッターを雇って同行させればいいのにとずっと感じていたので、今回の大野さんの登場は架空のストーリーながらホッとした。
子育てに優先すべきもの
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ここで考えるべきは、「子連れ出勤」は誰にとって都合が良いかということだ。
マイナス要素は、
・子供側からみれば、自由はきかないし行動は大幅に制限される。
・周りの人間や同僚たちに気を遣わせる。
・泣いたり怪我したりで仕事の段取りが狂う。
その一方、利点を挙げるとすれば、
・目の前に常に子供を置いて安心したいという親の気持ちは満たされる。
言ってみれば親の満足感のみではないだろうか。
仕事と育児の完璧な両立は無理!
仕事は変わらず続けたい、でも、子育ても自らの手でしたい。
そう願う気持ちはわかるが、それは無理というもので一人の人間を育てるという一大イベントはそんな簡単なことではない。
仕事を優先したいのなら子供を産むことをあきらめるか、
育児を優先したいのなら専念できる環境を作るべきだと思う。
すでに子供をお腹に宿してから、パートナーに早世されたスズ子には選択の余地はなく、生きていくために仕事は捨てられないのは明らかなので完璧な子育てを諦めるしかない。
託児所や保育園が充実していなかった当時、誰も頼れる人が居ないのなら、やはりベビーシッターを雇うしかなかったと思う。
子供にとって何が大事か
特に就学前の7歳までに必要な事は何かと考えた場合、親からの愛情ある「躾け」と子供同士の中で「社会性」を学ぶ事であり、決して大人社会で抑圧されて過ごすことではないはずだ。
さらに「躾け」や「社会性」よりもっと大事な事は、「情緒」を育てる事だと思う。
喜怒哀楽を持った生身の人間から、感情の起伏を感じ取る能力はこの時に培われるものだと思う。
時にはイライラするお母さんだって人間味があっていいと思うが、ちょっと預けることでゆとりを持った子育てができるのならその方が断然いい。
「子供のために」はNG!
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私は息子二人の子育ては小学校に上がるまでは、どこにも預けず自分の手で育てた。
そして年齢に合わせて時間の短いパートから、次男が中学生になるころには丸一日勤務の仕事にシフトしていった。
しかし、後になって振り返ると、最初から保育所を利用して仕事に専念しても良かったなと思っている。
私が見ていたと言っても、そのほとんどの時間は子供同士で遊ばせていたからだ。
~子育ては親の手で~
というのが信条を持ち過ぎたと後悔している。
社会から離れた期間は10年にもおよび、失った時間ロスは大きかったと痛感したからだ。
共働きがほとんどの現在では、子育ては夫婦が協力し合うのが当たり前になりつつあるが、まだ日本では子育ては「女の仕事」という認識が強い。
だから当たり前に子供を産むと社会から遠のいてしまうのは女性の方が多い。
男性の育児休暇が認められたのも最近の事だ。
その子育て期間を振り返ると、反省点だらけだ。
子供のためだから仕方がないと自分に言い聞かせていただけではなかったか?
単に両立するのが億劫だったのではないか?
それは子供からすればただの「恩着せ」に過ぎず、とても重いものになる。
そう気付いて振り返ってみると、口に出した事は一度もないが、態度で示してなかっただろうか?とちょっと不安になるが、今となってはもう遅い。
振り返ってみれは、子供を育てているつもりが育てられたのは親の方で子供に教わったことはとても大きかったと思う。
「ブギウギ」のスズ子も家政婦さんに預けたのは、親としての一つの悟りを開いた瞬間だったと言える。
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![千世(ちせ)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/59168201/profile_66f46ad077c7d63cfcb7793372d59bd9.jpg?width=600&crop=1:1,smart)