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個人的お気に入り、才能に嫉妬した方々を勝手に紹介します①「耳底の川」

今回より新企画です。ヒトの作品、勝手に紹介しちゃいます。

おとはさんの作品。とにかく文章表現の感性がスゴいんです。まあ見て下さい。

飛行機に乗り、電車に乗り、駅のホームを踏んだ。風が吹き抜ける。目をグッと瞑り、パッと開けると、匂いがした。この町の匂い。いつも私のそばにあったものだ。長く離れていたのだと実感する。改札を出ると、雲が多いのに外は明るく、少し離れた空には青空が見えている。光が射して空気が煌めく。美しいと思う感情にくっついて、脳裏に出てくるあの場所。

大きな川。

1行目、遠近を効かせた表現で景色は一気に移動していきます。
1ー2行目、風で触覚、目で視覚、匂いで嗅覚を共有して、でいきなりふるさとの町に連れて行かれます。

どうです?この表現、スゴくないですか?
ここから改札を出て、風景を描いて記憶を描いてからの「大きな川」です。

完璧ですね。ついでに完敗です。しかも文章が女子っぽい。こういう芸術な表現ができると、視覚効果を持った世界観が呈示できるってことを学習しました。文章は読みやすい軽口のエッセイ風なんですが、表現がかなり文学してると思いません?

彼女と2人でよく遊びに行った、あの川。私達はセーラー服を着ていて、まだ17歳だった。同じクラスで隣の席。最初に話しかける理由なんて、そんなものだ。

彼女は優しくて穏やかで、誰かが傷をつけるのなんて簡単なのではないかと心配になるくらい、澄みきっていた。

高校時代、思い出の「彼女」を川と同じように澄みきった、と表現することで僕等に澄んだ表情と心を持った女子のイメージを運んできます。うーん叙情的。そして鮮烈な恐怖を覚えた記憶が紹介され、「彼女」との記憶が綴られます。本文は本記事を読んでのお楽しみ。

去年思い出せていたものが、今年は忘れている気がする。そうやって、少しずつ、輪郭が削れていく。面積が少なくなって、声が遠くなっていく。私達は確かにそこにいたはずなのに、本当のことだったのか、疑う時もある。見失いそうになってしまった時は、耳の底から必死にかき出して集める。内緒話、笑った顔。透明な水。

あの時間が、彼女がいたという事実が、それだけが私を支える。音や光が、記憶の隙間を流れる。今思い浮かべているものを、明日になっても変わらず描けるだろうか。

時の移ろいとともに色褪せていく記憶。記憶が視覚では変形して小さくなる、聴覚では音が弱くなる。そしてやがては忘れてしまう。誰しもそうなのですが、おとはさんは、タイトルの「耳底の川」として音を伴った景色や表情として必死に忘れないように努めます。

それでも時は流れて、容赦なく記憶を奪っていくという残酷な事実。その儚さが見事に表現されてます。どんな感性してたらこんな表現、思いつくんでしょうね。記憶って通常音や光を感じにくいもので、セピア色だからこそ「色褪せる」って表現になるんですが。歳をとって忘れっぽくなった、そんな方々にこの記事を紹介したいですね。

ちなみにおとはさんの他の記事を読むと「…」(呆然…え、そっちなん、的な)の気分に襲われます。興味を持たれた方、僕と一緒に「…」な気分を味わいませんか。「上の階の…」がオススメです。おとはさん、キミはピュアなヒトなんじゃなかったんかいー!ってアイドルオタクみたいに叫べます。

以上、おとはさん、勝手に紹介してすいません。最後にひとこと言わせて下さい。おとはさん、スゲーよ、あんた。


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