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映画「FLEE フリー」感想

 一言で、戦争による一家離散を経験し、同性愛を告白できない国でゲイとして生きる男性が、半生の「真実」を語るドキュメンタリー式アニメ映画です。かなり重い内容故に、噛み砕くのに時間がかかりました。

評価「B-」

※以降はネタバレを含みますので、未視聴の方は閲覧注意です。

 本作は、アフガニスタンに生まれた「アミン」という一人の男性を通して、過去やセクシャリティーを含め、自分は何者なのか、それを知ることのできる場所を見つける、一人の人間の物語です。 
 本作の制作を手掛けたヨナス・ポヘール・ラスムセン監督も、迫害から逃れるためにロシアを離れたユダヤ系移民の方です。そのため、彼の「自叙伝/私小説」的な視点が多く含まれています。

 各国の映画祭で高い評価を受けており、サンダンス映画祭ではワールド・シネマ・ドキュメンタリー部門にてグランプリ受賞、アヌシー国際アニメーション映画祭では最高賞(クリスタル賞)・オリジナル音楽賞・ガン財団配給賞・アニー賞長編インディペンデント作品賞など、数々の受賞に輝いています。私も、本作を観たところ、「これは、受賞も納得の衝撃的な作品」だと感じました。

 ちなみに、タイトルの「FLEE」(英語)の意味は、「逃走する」や「避難する」です。正に、タイトル通りの作品でした。

・主なあらすじ

 アフガニスタンで生まれ育った「アミン」、彼は幼い頃に父と「離別」し、また「どこか他の人とは違う」気持ちを抱えながらも、母や姉兄から愛情を受け、伸び伸びと育っていました。
 しかし、戦況が悪化したことで、家族は命がけで故郷を去らなくてはならなくなり、ソ連へ亡命します。しかし、そこでも酷い扱いを受けたことで、長兄のいるスウェーデンへの密入国を計画しますが、そこからが更に「茨の道」でした。そして、数年かけて密出国した彼は、たった一人でデンマークへ辿り着くのです。
 30代半ばになり、研究者として成功したアミンは、「恋人」であるキャスパーとの結婚を考えます。しかし、キャスパーには「とある事情」により、自身の生い立ちの秘密を話せなかったのです。
 そこで、アミンは親友である映画監督の協力を得て、自身の過酷な半生を語り始めます。

・主な登場人物

・アミン : アフガニスタン出身ですが、少年期に壮絶な亡命経験を経て、現在はコペンハーゲンに在住しています。30代半ばで研究者として成功を収め、恋人であるキャスパーとの結婚を考えますが、彼には誰にも言えない「秘密」がありました。

・映画監督 : アミンの親友。彼とは長年の付き合いで、映画を撮るために、アミンに「協力」を依頼します。

・キャスパー : アミンの婚約者。多忙なアミンのキャリアを応援しつつ、新居探しに熱中します。2人は「相思相愛」ですが、彼はどこか「影」のあるアミンを案じていました。

・アミンの父 : アミンが幼少期に「離別」。職業はパイロットでしたが、反政府運動に身を投じていたため、投獄されて「行方不明」になりました。

・アミンの母 : 夫と離別しながらも、アミンや姉兄を愛情深く育てます。しかし、内戦のショックやストレスにより髪が「白髪」になり、めっきり弱ってしまいます。

・アッバス : アミンの長兄。兵役義務から逃れるために、スウェーデンに移住。家族を助けるために尽力し、アミンの「性的嗜好」にも理解を示します。

・アミンの姉兄達 : アミンと歳が離れた長兄と姉2人、歳の近い兄は1人の5人兄弟でした。各々は時々喧嘩しながらも、仲良く過ごしていました。最初は姉達が亡命し、次に母兄アミンが亡命しようと計画しますが…

1. ドキュメンタリー形式のアニメ映画は「斬新」だが、テーマとしては既存の作品に「一捻り」を加えた内容になっている。

 本作で評価したい点は、「ドキュメンタリー形式アニメ故の斬新さとリアリティーの高さ」です。
 本作は、「実話」を元にして、そこに多少の「脚色」を加えた内容になっています。実際、「アミン」という人物は、監督の友人がモデルとなっているそうですが、プライバシーや民族の尊厳を守るため、敢えて「架空の人物」として描いています。
 作中では、「アニメ映像」と「現実の映像」が、交互に挟まれます。アニメを「フィクション止まり」にするのではなく、「現実の延長上」として伝える手法はとても「斬新」でした。まるで、ドキュメンタリー映画を観ているかのようで、リアリティーが増しました。

 一方で、オリジナルの物語と史実の映像を交え、一人の人生に世界史を絡めてく手法は、「フォレスト・ガンプ」と重なりました。このように、既存の作品にあった手法を交えつつ、そこに「一捻り」加えて、オリジナルのテーマを伝えている作品でした。※尚、このテーマにも、他作品と「重なる」点はあります。(ここは後述します。)

 また、前述の通り、本作は監督の「自叙伝/私小説」的な視点を含む作品なので、そこを受け入れられるかどうかも、本作を楽しむポイントだと思います。

2. 作画はシンプルで地味だが、「言語表現」と「非言語表現」をうまく組み合わせている。

 本作の作画は、シンプルで地味です。動きも「カクカク」していたり、場面転換も「ぶつ切り」なので、一昔前の日本のアニメを観ているかのようでした。普段、作画が細かい現代の日本のアニメや、ディズニー・ピクサー・イルミネーションなどのカラフルなアニメに慣れている人だと、「雑・物足りない」と感じる人もいるかもしれません。

 一方で、ドキュメンタリーアニメ故に、アミンのモノローグは多く、「言語表現」が多用されていました。しかし同時に、音・目つき・息遣い・涙・腕時計などで語る「非言語表現」も頻繁に挿入されていたので、心に刺さりました。特に、閉所・暗所時にいるときの表現はリアルなくらい怖かったです。

3. 終始「緊張しっぱなし」になり、感情を整理するのに時間がかかる。

 まず、本作は、これでもかというくらい辛い場面が続くので、終始「緊張しっぱなし」になり、息が止まりそうになるくらい、観るのがキツかった作品でした。「辛い場面9割、幸せな場面1割」な作品なので、観終わってからも、感情をうまく整理できなかったです。今日本に生きる私達が如何に恵まれているか、世界の現状と併せて突きつけられました。
 また、主人公を取り巻く環境がどんどん「悪化」していくので、「もし〇〇が命を落としてしまったらどうしよう」とか、「次はこんな目に遭ってほしくない」などと、常に「最悪の展開」を考えてしまいました。
 尚、実際の映像のターンでは、「激しい暴力描写」や「遺体の写真」が映りますので、苦手な方は要注意です。勿論、これくらいの描写があることで、作中で起きた出来事がどれだけ残酷なのか、身に沁みてわかります。

 本作のように、主人公とその一家が、戦禍や自国の悪政により故郷を出ていかざるを得なくなる話は、「ブレットウィナー」・「トゥルーノース」・「ベルファスト」などでも取り上げられています。
 勿論、それぞれの作品における登場人物の「立場」や、故郷や亡命への「想い」は違いますが、故郷を出ていかなくてはならない・家族と共に暮らせなくなるかもしれない苦しみは十二分に伝わってきます。

 そして、アミンは、親友の映画制作に協力するために、記憶を辿って、人生を振り返ります。その過程はとても辛く、PTSDによって何度か撮影が中断します。しかし、彼は「未来に進むために、辛い過去と向き合う」と言い、撮影を続けました。
 この「過去と向き合って気持ちを整理する」というアプローチは、精神医学療法的なものを感じます。(最初は友人が医者かと思うくらい。)
 本作で、作画が時々粗くなったり、場面が細切れになったりするのは、この「記憶を掘り起こす」作業故なのかなと思いました。記憶は今そこに実像としてあるものではないので、敢えて「おぼろげ」に表現したのかもしれません。

4. メインテーマは「家族の逃避行」であり、アミンの「誰にも言えない秘密」はサブテーマに抑えられている。

 本作は、「家族の逃避行」と「誰にも言えない秘密」がテーマですが、メインテーマは前者であり、後者はサブテーマに抑えられています。

 「家族の逃避行」については、前述の通りずっと辛いシーンが続きます。
 ある日突然会えなくなった父と、戦況悪化により長兄のいるスウェーデンへの亡命決意、しかしスウェーデンにはすぐに行けず、観光ビザを発行してくれた唯一の国であるソ連に行くことに、しかしそこでも迫害に遭い、密出国してスウェーデンを目指すことに。
 幸い、人が亡くなるシーンはありませんが、人間扱いされず、生命の極限状態まで追い込まれる場面が続きます。
 まず、船のコンテナや船倉に閉じ込められるシーンがあるので、閉所恐怖症・暗所恐怖症の人は視聴注意です。
 また、ソ連の極寒の地で歩き続けなければならず、体力のない子供や老人は誰かの助けがなくては難民船のある港まで辿り着けません。
 そして、嵐の後、遭難した難民船の目の前に豪華客船が出現します。必死で手を降る同胞達、しかし現実は非情でした。豪華客船の客は、まるで「見世物」のように彼らにカメラを向け、誰も救出しようという姿勢は見せません。ここでの、カメラを向ける裕福な客と、難民船で手を伸ばす貧しい人々との対比がエグかったです。
 結果、皆は沿岸警備隊に拿捕され、収容所からのモスクワ強制送還を余儀なくされました。この時、沿岸警備隊の目出し帽が「悪魔の顔」に見えました。
 そして収容所には報道陣が駆けつけるものの、彼らの取材は、難民を「可哀想な人」として扱う「感動ポルノ」の対象として扱うものだったのです。
 さらに、モスクワ滞在時、「女性への性暴力」を匂わせる描写があるので、ここも要注意です。アミンと兄が町中で捕らえられたとき、ロシアの警察車両には一人の女性が乗っていました。警察官は、「金が無い奴は、『別の方法』で払ってもらうぞ」と脅します。幸い、2人は金を持っていたので解放されましたが、女性はそのまま車両に残され、その後警察官が入ってきて扉が閉められました。「直接的な表現」はないものの、アミンは「彼女を助けられなかったことは今でも後悔してる」と親友に告げ、涙を溢します。
 本作、ソ連(ロシア)の描き方がかなり「露悪的」なので(正に文字通り)、今の「戦況」と被りすぎていました。本作、果たしてロシアで公開できるのでしょうか?
 上記のような場面を見続けると、「人の尊厳って何だろう?」の考えがぐるぐる頭を巡り、辛くなりました。
 一方で、アミンの家族が亡命出来たのは、そこそこ主人公の家庭が「裕福」だったからではないか、とも思うのです。父の職業故なのか、実家は大きく、アミンも当時は珍しい音楽プレーヤーを持っていました。密出国の費用も無事捻出できたのかは気になりますが、少なくとも家が壊されたり、出国できずに戦禍に巻き込まれて命を落としてはいません。

 アミンは作中にて、「誰にも言えない秘密」を抱えていると言いましたが、一つは「彼自身のアイデンティティーの一つ(LGBT-Q)です。お国柄・宗教柄故に公にできなかったのです。
 これについては、幼少期よりその「傾向」が表れていました。まず、アミンは、音楽好きで音楽プレーヤーとヘッドホンを常に身につけ、姉のワンピースやスカートを着て、街を駆け巡ります。
 また、映画スターが好きで、女子が好きな俳優のブロマイドや映画ポスタにときめき、映画俳優に「恋心」を抱いていました。
 そして、モスクワでも、男性カップル?に自然と目が行っていました。

 しかし、アミンは、「アフガニスタンには『同性愛者はいない』、それを『表す言葉』もない」と言います。
 一般的にイスラム教では、LGBT-Qには「保守的」な思想が強く、国によっては違法で罰則規定がある場合もあります。※ちなみに、アフガニスタンでは同性愛行為は「死刑または実刑判決」を受けるそうです。(引用は、下記の「・イスラム教におけるLGBT」より。勿論、細かな宗派の違いはあるため、ここに書いたことが全てではありません。)
 ここは、映画「トーベ」(児童文学作家トーベ・ヤンソンの自叙伝)とも重なる点でした。あちらは女性カップルでしたが、フィンランドでも、LGBT-Qが「精神疾患・刑罰の対象」として見做された時代がありました。

 スウェーデンにて兄弟と再会後、「恋人」について聞かれたとき、彼は思い切ってカミングアウトします。「僕は女性を『そういう目』では見れない。」と。 それを聞いた兄弟一同は大変驚き、暫く沈黙が続きました。しかし、長兄は、静かにアミンを外に連れ出し、どこかへ出かけます。着いた場所はゲイ・クラブでした。兄は弟にお金を渡し、「お前のことは昔からわかっていた、だから楽しんでこい。」と背中を押したのです。ここの兄の「理解」に、今までつっかえていた思いが少し溶けたような気がしました。

5. アミンの「もう一つの秘密」とは。

 そして、もう一つの「秘密」は、自分の半生を「詐称」したことでしょう。2回目の密出国にて、アミンは業者から偽造パスポートを渡され、偽の生い立ちを語るように言われます。「家族は『全員死亡』し、身寄りがいない」と。アミンはそれに一瞬躊躇しましたが、既に積もり積もっていた精神的ショックと、この状況を抜け出したい一心で、そう「思い込む」ことで、あらゆる難関を切り抜けたのです。そして、行ったこともないコペンハーゲンへ単身で入国します。
 しかし、その「思い込み」によって、少しずつ「記憶が修正」されてしまったのです。そのため、最初彼が友人に語った「エピソード」には「真実」と「架空話(ミスリード)」が混在していました。そうでもしないと生きられなかった辛さがそこにありました。最も、作画が時々「粗くなった」のは、本当の記憶と作られた記憶が混在していたから?とも思います。
 そのせいか、アミンは一緒に密出国した少年の名前を思い出せませんでした、アミンは、金のネックレスをプレゼントしてくれた彼に「淡い恋心」を抱いていました。そしてネックレスは今でも大事にしています。彼はスイスのチューリッヒへ亡命しました。
 客船の下りでもそうでしたが、「悲劇のヒーロー・ヒロイン」や「可哀想な」存在じゃなければ、社会に受け入れられないのか?、とこれらの問いかけは救助や支援への姿勢に一石を投じています。相手を「一歩下げて」見ていては、いつまでも「現状維持」のままだとも。
 この辺のエピソードは、映画「沈黙のレジスタンス」にも似たような下りがありました。※あちらは、第二次世界大戦下でのユダヤ人によるフランスからスイスへの亡命の話ですが。

 ちなみに、彼らが搭乗した飛行機は「ウクライナ航空」だったので、どうしても、今の戦況を思い出してしまいます。

 実は、彼は母国語のダリー語でノートに「記録」を残していました。しかし、その内容は、時が経つにつれて、読めなくなっていきます。亡命先での生活が長くなるにつれて、「本当の物語」が語れない、喪われていく哀しさがありました。
 だからこそ、彼は映画制作を通して、「自分の本当の物語」を初めてカミングアウトすることを試みたのです。ここからは、それを実行することへの怖さと勇気がジンジンと伝わってきました。

6. グローバリズム・マジョリティーから「外れた」人々の描き方には疎外感がある。

 本作からは、アミンらと対比するかのように、グローバリズムやマジョリティーも強く描かれます。
 例えば、モスクワでのマクドナルド開店について。冷戦下において、アメリカ発祥のマクドナルドがソ連でオープンすることは、正にグローバリズムの象徴でした。しかし、アミンらはそこから「弾かれた」人々だったのです。彼らはソ連では「外国人」であり、観光ビザのみで食いつなぐ「不法滞在者」だったので、ソ連における国民としての「恩恵」は受けられません。
 ここは、「マイスモールランド」にもあった「ワールドカップ」の話や、「オリンピック・パラリンピック」で思ったことと重なりました。

7. 「マクロ」と「ミクロ」の問題の可視化がエグい。

 本作では、国や民族を取り巻く、色んな問題が描かれますが、それらは大きく分けて「マクロ」と「ミクロ」の問題に分かれます。それらはうまく「可視化」されていました。
 「マクロ」の問題としては、祖国アフガニスタンからの亡命・ソ連での不法滞在問題・密出国による北欧への亡命など、「ミクロ」の問題としては、ヤングケアラー問題・周囲への「カミングアウト」への影響などが挙げられます。
 前者については、既に前述していますが、後者についても、かなり深刻です。
 「ヤングケアラー問題」としては、長兄は結婚できず、家族を助けるために、自身の人生を「犠牲に」していることや、弱ってしまった母を支える子供達が挙げられます。このように、誰かのために「自分を犠牲に」してはいけないし、させてもいけないです。そして、助けられることが「当たり前」でもないのです。しかし、当人の努力だけではどうにもならない、環境の問題への歯痒さも感じました。

 周囲への「カミングアウト」への影響については、家族以外の人に「理解」してもらえない辛さが挙げられます。たとえ家族には「理解」してもらっても、それ以外の人々がどう受け取るかはわかりません。
 アミンも、最初の「彼氏」には裏切られたと話していました。うまくいっていたつもりが、いつの間にか気味悪がられて、揺すりの対象になってしまったと。今までずっと「逃げ続けるだけの人生」だったのに、さらに逃げ続けなければならないのかと、気持ちを吐露します。
 人間は、どうしても「自分と違う」ことに関しては、受容が難しいものです。それでも、全く同じ人はいません。だから、「違うこと=悪」と捉えるのではなく、「色んな人がいて考えがある」ことを頭に入れて行動したいです。

8. テーマが重いせいか、エンタメ性は弱めで、「見やすい点」と「見にくい点」が混在している。

 本作は、シンプル故に「見やすく」、またとにかくメッセージ性がとても強いので、「心に突き刺さります」。
 一方で「一本の映画」としてみると、「エンタメ性は弱い」ので、とっつきにくい点はあるかもしれません。
 例えば、「パラサイト半地下の家族」や「ジョーカー」などは、重いテーマであり、賛否両論ながらも、映画としてのエンタメ性は「強い」です。また、「犬王」のように、専門分野にそこまで詳しくなくても、観れる内容の作品もあります。しかし、本作はそこが弱かったせいか、所々「見にくい点」が存在していました。正直、アフガニスタンの戦争や、ソ連の政策を知らないと、わかりにくい点はありました。
 そういう点では、同じ難民をテーマにした「マイスモールランド」の方がエンタメ性の要素もうまく取り入れており、コメディーとシリアスのバランスが良いので、「より見やすくは」なっていました。※最も、このような作品に「エンタメ性」を求めすぎるのもどうかと思いますが。

 しかし、本作も他の作品と同様に、明るい音楽やホッとする場面で暗くしすぎない工夫はされていました。アミンの音楽プレーヤーから流れる、ポップな音楽(a-haやロウ・ロアーの曲)には、思わずテンションが上がりました。※そういえば、a-haの映画はやっているみたいなので、観たいです。
 また、アミンとキャスパーが結婚のために新居巡りをしたり、猫と戯れたり、仕事に邁進したり、現在の彼らの姿にはホッとしました。

 そして、映画の構成としても、微妙な点はあります。アミンの現在のエピソードと、アミンの若い頃の回想が行ったり来たりするので、そこで一々物語が止まってしまうと感じる人はいるかもしれません。

 さらに、「10代半ばでコペンハーゲンに亡命してから、30代半ばまでの生活」は本作ではカットされています。
 未成年だった彼は、コペンハーゲンに着いてから、どう生活してたのか?(児童福祉施設や養子縁組か。) 研究者になったのは何故?などについては、本作では明かされていません。(最も、どこかの建物の中から、長兄に電話を掛ける描写はあるので、施設にはいたのでしょう。) 一応、ソーシャルワーカーらしき人は出てきますが、そこが今一わかりにくかったです。

 ※パンフレットより、実際の「アミン」のモデルになった方は、15歳の頃にアフガニスタンからコペンハーゲンに亡命され、里親の元で生活されていたそうです。
 本作の「アミン」にはそのような描写はありませんが、恐らく「生活できる環境」はあったのでしょう。

 ちなみに、「夫」のキャスパーとはどう出会ったのか?また、キャスパーは、アミンの「過去」を受け入れるとき、葛藤は無かったのだろうか?などの視点も気になります。

 最も、主人公のモノローグの多さやぶつ切りな場面転換を指摘する声もありました。ただ、これらはやや目立つものの、全体としてはそこまで減点要素になるほど、気にはなりませんでした。

9. とにかく評価の「難しい」作品だった。

 本作は、これだけ重いテーマを映画化したことで、概ね高評価ではあります。しかし、同時に人によって評価が分かれそうな作品だとも思いました。
 それでも、日本に生まれただけでも、どれだけ恵まれているか、身に沁みてわかります。今でも戦争は「現在進行系」で続いており、アミンのような人々が沢山います。

 私にとっては、本当に評価が難しい作品で、正直な所「B-」は低いのかもしれません。ある意味、安易な評価付けや点数付けはしてはいけないのかもとも思います。それでも「忘れられない作品」であり、「観てよかった作品」でもあります。

 尚、お子様との視聴については、上記より、「刺激の強い」シーンや、「補足説明を要する」シーンが多いため、中学生くらいなら良いかなと思います。

 正直、今の日本のアニメクリエイターで、こういう話を描ける人はどれだけいるのでしょうか?こういった「現実」に意識を持って、作品に仕上げる覚悟を持つ人はいらっしゃるのでしょうか?昨今の日本アニメを観ていると、ある意味「平和ボケ」しているのように思います。※決して日本のクリエイターを下げるつもりはありません。

 本作の上映館は、アニー賞効果があるとは言えど、ミニシアター中心に全国で約70館程度なのが本当に勿体ないです。内容には賛否両論あるとは思いますが、色んな人に観てほしいと思いました。
 私が観た回は、小さいスクリーンでしたが、約7割位埋まっていました。是非、口コミで広がってほしいと思います。

出典:
・映画「FLEE フリー」公式サイトhttps://transformer.co.jp/m/flee/

・映画「FLEE フリー」公式パンフレット

・イスラム教におけるLGBT
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E6%95%99%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8BLGBT

・朝日新聞デジタル「同性愛」に関する関連キーワードhttps://www.asahi.com/sp/topics/word/%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B.html