アフガニスタンといえば。 マカピーな日々#0197
マカピーです。
先日のアフガンカーペットの話を書きながら思い出したアフガニスタン人にまつわるお話です。
といっても、マカピーはお隣のウズベキスタンに5年もいたのにアフガニスタンへ入国した事はありません。でもアフガニスタン人には会いました。
一人はレシャード・カレッド先生。
マカピーがイエメンで仕事をする前に東京でお会いし、イエメンでの活動内容を伺ったのでした。彼は元アフガニスタン留学生で日本にいる間に政変で本国に帰れなくなり日本で結婚されて日本でお医者さんをしながら、母国に支援をつづけています。
公私にわたる本国や留学生への支援は続きカルザイ前大統領の時などアフガニスタン政府からお呼びがかかり本国で活動もされていました。
現在も「カレーズの会」を作り活動をつづけられているようですが、マカピーの好きな「カレーズ」(地下水脈)と名付けている先生と心が通じたような気がしました。
次に会ったアフガニスタン人はぐっと若く、息子たちの通っていた学校の生徒だったのですが、すでに亡くなってこの世にいません。
実は彼は麻薬売買をする家柄だったので抗争に巻き込まれたらしいのです。マカピーがウズベキスタンで彼の存在を知った頃、彼はまだ高校2年生くらいでしたが車を3台所有していてそれをとっかえひっかえしながら通っていました。
商売柄お金持ちだったようで、メルセデスベンツ、トヨタランドクルーザーそして極めつけは黄色いハマーでした。総額2,000万円以上です!
そのころの噂では、彼は人違い?で撃たれ背骨に手術で取れない銃弾があると言われていました。
彼は本国の親兄弟と別れて単身タシュケントの一軒家にお手伝いさんと暮らしているとの事でした。会えばきちんと挨拶するとても好青年で、学校の成績は知りませんが時々遅刻と駐車違反でもめている程度だったとおもいます。
学校を卒業したので、アフガニスタンに帰り家業を手伝うことになって命を落としてしまったのでしょうか?
どうして彼は若くして死なねばならなかったのか?
そうです、アフガニスタンは貧しい国農業国でケシ栽培が盛んでした。やせた土地でも栽培可能で現金収入となるケシ栽培で得られるアヘンはそのままでは効果は大したことがありません。農民の収入も同様ですが他に作物がないのです。
ところが一たび出荷されアヘンが精製されヘロインとなりウズベキスタンを経由してヨーロッパ市場に出回ると巨大な利益を生むのでした。
ウズベキスタンの道路にはたくさんの検問があるにもかかわらず、しっかりとした麻薬ルートができていたのです。つまり麻薬シンジケートが強力であったという事ですね。
そしてウズベキスタンでも質の悪いヘロインが出回っていて、注射器の使いまわしによる中毒患者のHIV/AIDS(エイズ)が広がっていました。
政府はエイズの数を過少に報告していたので、国際NGOなどが麻薬中毒患者に注射器を使いまわしをしないように使い捨て注射器の提供を行っていました。
ジャンキー(麻薬中毒患者)、麻薬組織、売人、エイズ、政府、NGO、WHO, UNAIDS........なんとも複雑な世界でした。
アフガニスタンに思いをはせるとマカピーは、必ずカーペットと彼らアフガニスタン人の事を思い出すのでした。
マカピーでした。
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