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マルチタスクの弊害とMERITと太宰

 こんばんは。ごきげんよう。

 筆者は現在、いわゆる絶賛多忙の時期に突入しておりまして、一週間単位でのマルチタスクに追われております。

 内容としては、対面授業に伴う世界で一番嫌いな満員電車通学、多忙なゼミ、週2の立ちっぱなしのアルバイト、資格試験の勉強、そして卒論。

 これらは全て自分ができるだろう、という楽観的な希望観測にもとづいて自分で仕組んでしまった自業自得の罠なのですが、どうやら身体的にはストレスが溜まっているようでして、無性に甘いカフェインの入ったジュースを飲みたくなったり、タバコの本数が増えたりしております。逆にSNSを使う頻度は減りましたが。

 ストレス発散方法は多数この世の中に溢れておりますが、どれもドパミンの分泌を促進するような興奮系の作業であります。それらは睡眠の質やさらにストレスを溜め込むといったものです。例を挙げるなら、過度な飲酒、タバコ、スリリングな映像作品、ショッピングなどです。
 医学的に進められているストレス発散方法は、自然の中での運動や、瞑想など、とても、陳腐めいていてとても退屈なのです。

 興奮系のストレス発散を消費するために、1日9〜10hのアルバイトを余儀なくされており、それがストレスとなり、、、といった負のスパイラルに陥ってはいますが、メリットもございましてそれは、出不精の私を強制的に、環境強制的に外のリアルな現実(あえて現実をリアルという形容詞で表現しております。ご容赦を)を眼前に突きつけられることです。
 
 私は非常に、現実がこわくて、よく言えばロマンチスト、浪漫主義、形而上学の様相を呈した生活スタイルとも言えますでしょうが、単に現実逃避癖がついているのです。
 

 外に出て、メガネをかけ、ノイズキャンセリングイヤホンを外して歩いてみると普段では感じれないような、木々のゆらめき、木漏れ日、風の音、人々の顔の様子、その所作、自動車の排気音など五感で感じることができます。
 それらは全て私にとってはものすごいストレッサーなのです。
 しかしながら、そのストレッサーは私をある種、現実世界へと導いてくれるような刺激をしてくれる媒介者となりえます。

 あと数ヶ月このような生活習慣が続きますでしょうが、その間も地球も周り、太陽系の惑星も自転と公転を同時にマルチタスクとしてこなすのでしょう。
 彼ら惑星や太陽は、完全なるホメオスタシス(太陽は76億年後に消滅するだろうが、まあ万数としてカウントしまししょう)として生活習慣をまもっているのですが、私のこのマルチでタスクな生活習慣も人間の生物としての恒常性として数ヶ月後には当たり前となっていることでしょう。

 わたしはそれが怖くて怖くてたまらないのです。

 その怖さたるや、中学生のころに太宰の『人間失格』の読後感とよく近似しています。

 

「そこで考え出したのは、道化でした。それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。」

-太宰治 『人間失格』 第一の手記より


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