環境を変えても名前を変えても、結局わたしはわたしのままだった。|#エッセイ
ふと、思い出した。
大学時代の春休み、1ヵ月だけアメリカのポートランドに短期留学していた。
アメリカといえば自由でオープンマインドのイメージがあったので、アメリカに行けば自然と社交的な性格になれるものだと思っていた。
人は環境に左右される生き物だから、と。
さらに大学の先生の方針で、授業中はアメリカ人らしい名前を名乗ることになっていて、わたしは「レイチェル」と名乗っていた。
その名を呼ばれると、なんだか陽気なアメリカ人になった気分だった。
新しい環境。新しい名前。
これまでとは違う自分になれると信じていた。
でも、違った。
環境を変えても、名前を変えても、そこにいるわたしは変わらず臆病でネガティブなわたしだった。
言語がうまく話せなかったから、滞在期間が1ヶ月だけだったから、なんて理由ではないのもわかっていた。
なぜなら、本州から北海道の大学に進学して、わたしの顔も名前も過去も、何もかも知らない人たちと出会ったときも、わたしはわたしのまま変われなかったから。
どうやっても、人は過去から続く今を生きるしかないらしい。
考えてみれば当然だ。モノや人間関係はすべて捨てられても「わたし」だけは切り捨てられない。
だからこそ、自分から変わろうとしない限り、自分の目指す自分にはなれない。
多くの人が似たようなことを言っているけれども、このことを学生時代に体感することができたのは幸運だったと思う。
いま、どうにか社会人をやっているわたしは、あいかわらず「自分を変えたい」とか「人生を変えたい」とか思ったりしてる。
けど、だからといって安易に住む場所や仕事を変えて、自分以外のものに自分を変えてもらおうとは思わない。
変えたいなら、意志を、覚悟を持つこと。
それが何より大事だとわかっている。
………
…なんて、なんで急にこんなことを書きたくなったかというと、まさにいま「覚悟」をしなければならない状況にあるから。
にもかかわらず、まっっったく覚悟ができないから(笑)
はーーー覚悟決めるしかないよね。
わかってるんだよね。うん。
だけど、もうちょっとだらだらじたばたしてみてから、覚悟決めることにする。
大丈夫、たぶんわたしは覚悟決めて、自分を信じて進めるはず。
これまでもそうだったから!