ベルギーの森から

ベルギーとオランダに住んで三十余年。五カ国語環境(仏蘭独英日)での日々の想いを綴ります。ドイツ人パートナーと成人した息子ふたり、愛犬との暮らしでは、スローフードとワイン、自然をこよなく愛しています。

ベルギーの森から

ベルギーとオランダに住んで三十余年。五カ国語環境(仏蘭独英日)での日々の想いを綴ります。ドイツ人パートナーと成人した息子ふたり、愛犬との暮らしでは、スローフードとワイン、自然をこよなく愛しています。

最近の記事

古い脳を変える手品

「これからバンコクに行こうかな」 久しぶりにベルギーの我が家まで足を伸ばした姪が さらさらの長い髪をいじりながらつぶやく。  幼い日の面影を残しながらも すっかり女性らしくなった彼女が 南欧ひとり旅を満喫した後、 ベルギーまで北上した2日目のことだ。  「しばらくは長期休暇が取れないから」 「ずっと行ってみたかったし」と あっけらかんとしている。 せっかくヨーロッパにいるのにとか、 環境負荷という点ではいかがなものかとか、 叔母夫婦は余計なことを言って 可愛い姪を引き留

    • マリアンの白い指先

      ステンドガラスや建築装飾が瀟洒なカテドラルに夫と出向く。バッハの「ヨハネ受難曲」を知人が奏でるからと、友人夫妻のマリアンとベンに誘われたのだ。キリスト教圏では復活祭前に受難曲を演奏することが多いらしい。  さて、何百名もの聴衆はさざめきながら入場し、愛想のないひんやりする椅子に前方から腰かけてゆく。やがて始まりの合図と挨拶に続いて、厳かに楽曲が始まった。チェンバロやリュートなどの古楽器奏者20名と、ソリストや混声合唱10名が、高いドームに荘重な調べを響かせる。 外気は10

      • No Presents, Be Present.(贈り物は要らない、ただ寄り添って)

        私には長年にわたる付き合いの友人女性がいる。 ベルギー人のSとレバノン人のR、 使用言語も、職業も、環境も、 ことごとく異なるふたりは お互いを知らないけれど、 際立つ共通点がふたつある。  まずは、豊かな肉体。 久しぶりに会うと 有無を言わせず私の首をむんずと抱き留めて 頬と頬をつけて挨拶を交わし 全身で受け止めてくれる。  そして耳元で笑うように言い切る。 「また会えて嬉しいわ!」  豊潤なふかふかの土壌に散る落ち葉のように ふんわりこんもりぬくぬくと 豊満な胸に

        • 晴れやかな笑い上戸

          「クックック」と母は込み上がる笑いを必死で抑える。 抑えるから余計に膨れ上がって やがて押し留めきれずに溢れ出す。  「アハハハハ」と お腹の底から快い声で笑い上げる。  どんなに気難しくても 怒り出す人はいないであろう 原始的な唄声だ。 そばにいる私たちも 何やら可笑しくなって笑壺に入る。  母の大笑いにも 私たちの歓笑にも 理由なんてない。 ただただ悦しい。 涙が出るほど朗らかだ。 そうして一同 高笑いと涙にむせび いつの間にか腹筋が痛む。  *** 戦中生

          Chemin des amoureux (恋人の小径)

          森の入り口に立つ標識には 「Chemin des amoureux」(恋人の小径)としたためられ 真っ赤なハートと、それを射抜く矢の絵柄が添えてある。 誰かの茶目っ気あるイタズラだ。 その路をしばらく進むと その名の通りの若い恋人たちがやってきた。 愉快そうにおしゃべりするふたりの 満面に輝く笑みは 落ち葉で敷き詰められた小径を照らし出す。 冷気に包まれる森では はらはらと黄金色の葉が空を舞っている。 やがて母親と思しき女性が視界に入り ベビーカーで静かに寝入る幼子の

          Chemin des amoureux (恋人の小径)

          マルチェロのひげ

          五年ぶりに会ったマルチェロの 頬から顎、口元に短く蓄えたひげには 白いものが半分くらい混じっていた。  それが少しすっきりした彼に なんとも似合っていて 風格と品格を醸し出している。  惜しまれて逝ってしまった彼女が 夫のこんな佇まいを見たらきっと 軽く目を瞑って「似合ってるよね」と ちょっとはにかんで微笑んだことだろう。 ***  艶やかな管弦楽の音色が階上から聞こえてくる。 聡明で快活な女性に成長した下のお嬢さんが 情熱を共に傾ける仲間と 日曜の午下り練習に勤しん

          マルチェロのひげ

          コスモポリタン都市で『和食』を『誰かを想う』と解く

          『人口の4人に3人が外国人』という世界第二のコスモポリタン都市ベルギー・ブリュッセルに住んで、三十年近くになる。 そこで生まれ育った息子たちがこよなく愛するもののひとつは、どっこい『和食』である。それも、雅な設えのものより、素朴であったかい家庭料理の方だ。三色丼や鰯の蒲焼、ほうれん草の胡麻和えやアサリの味噌汁などのお馴染みの品々。長年、夏休みの度に日本のばあばがふるった威力は然ることながら、母親である私がベルギーでの子育て期において、息子たちのためにおそらく一番心を砕き時間

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          ハンググライダーで跳んだ先

          「選択」とは、「歩み」や「挑戦」と言い換えられるのかもしれない。私たちは日々、数千から数万にものぼる「選択」をするというから「何を着ようか」といった手軽で身近なものから、「どんな仕事に就こうか」といったこれからの方向をありありと変えるものまで、生きている以上さまざまな「選択」は連綿と続くからだ。 一世一代の「あの選択」を ー正確には「あの選択」がもたらした開放感や爽快感をー 数十年を経て私は再び願った。それはまるで、見晴らしの良い斜面から高く跳びたったハンググライダーが、眼

          ハンググライダーで跳んだ先

          エレンの筆致

          「エレンの筆致が変わっちゃったよ」と夫が淋しそうに呟いて、私にクリーム色の便箋を差し出した。文字を習いたての子どもの不器用ながらもしっかりとした筆圧とは真反対の、どこか恥いって震えるような流れに、私も目を瞠った。  夫の姉であるエレンは、まるで音符のように明瞭で流麗な筆遣いで、家族の記念日には欠かさずカードや手紙を送ってくれた。森を見渡す広々としたバルコニーで栽培するトマトやルッコラの育ち具合、行きつけのカフェのオーナーとの快いやりとり、年頃になった孫娘たちがボーイフレンド

          ベルギーの森からはじめまして

          noteのコミュニティのみなさま、はじめまして。 「ベルギーの森から」と申します。 *** 「ベルギーって、確かデンマークの首都よね?」 と、ある時日本で言われました。 あまりに屈託のない笑顔を向けられたものですから 「え、いや、街でなく国の名前なんですが...」 という言葉は呑み込んで 「はあ、まあ、あのあたりですね」 と苦笑いしたっけ。 それだけ地味で存在感のないベルギーは 九州より少々小さいほどで、東をドイツ、 西を海峡を挟んでイギリス、南をフランス、 北をオラン

          ベルギーの森からはじめまして