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ハンググライダーで跳んだ先

「選択」とは、「歩み」や「挑戦」と言い換えられるのかもしれない。私たちは日々、数千から数万にものぼる「選択」をするというから「何を着ようか」といった手軽で身近なものから、「どんな仕事に就こうか」といったこれからの方向をありありと変えるものまで、生きている以上さまざまな「選択」は連綿と続くからだ。

一世一代の「あの選択」を ー正確には「あの選択」がもたらした開放感や爽快感をー 数十年を経て私は再び願った。それはまるで、見晴らしの良い斜面から高く跳びたったハンググライダーが、眼下に広がる丘陵や村村と合間を縫う川を眺めながら、見知らぬでっかい景色をひたすらに愉しむ初飛行さながらだった。そして今また、あの時のようにたやすくできるはずだと思ったのだ。ところが、足がすくみ、翔び立てない自分に苛立った。

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24歳の誕生日、まさにその日、日本を後にして新天地オランダに私はひとり旅立った。まだインターネットもない時代で、江戸っ子の生き残りとして義理人情に篤いが口うるさい父から早く独り立ちしたいという反発があったとはいえ、ある仕事のご縁を頼りに、ただ「そうしたい」という強い希望と期待だけを胸に選んだ道だった。

生まれ育った東京の家を後にして、生まれて初めての引越、生まれて初めてのひとり暮らし、生まれて初めての海外居住、生まれて初めての海外勤務。。。変化の数数に、未熟な自分はなかなかに骨を折り、目の前のことで手一杯、それでも、たとえ掲げる立派な目標はなくとも、不安も不満も迷いも、ただの一点だってなかったのだ。心許ないあの自由をひたすらに謳歌した一本気ぶりを「若さ」と呼ぶのだろうか。あの頃の自分が少々妬ましくさえある。

やがてグライダーは、ゆらゆらと緑の草地に降り立った。そこで恋をして、結婚をし、育児や会社勤務に追われ、いつの間にか息子二人は成人し、気づいてみたら自分の人生の半分以上を、オランダとベルギーというその土地で過ごしていた。

するとどういう訳か、あの時のようにまた高く跳ばなければこのままどこへも行けなくなるのではないか、冬の曇天のように冴えない気分は金輪際晴れないのではないか、そんな気がしてきたのだ。あの初飛行で味わった恍惚に、現実が強いるもどかしさを放ちたい衝動に駆られた。

そして読んだり聞いたり、仲間を探したりと準備を整えた。ところが、跳躍は、できなかった。言い訳ならいくらでも挙げられるけれど、そんなものはたぶん重要ではない。ただ、心の底ではあの飛行を望んでいない。それが「今の自分の選択」なのだ。

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かつて晴れやかな「あの選択」をしたから、遠くに運ばれてここにいる。「あの選択」をしたから、めぐりあわせでここにいる。それは確かなことだ。でも「あの選択」の後に続いた「ささやかなそんな選択」や「つつましいこんな選択」がとめどなく続いたからこそ、「あの選択」がことさら眩しく映るのかもしれない。その輝きはひとつの宝物として心に抱きながら、たとえちっぽけでも「今の自分に最善な選択」を日々重ねてゆけばよいのかもしれない。それはさながらグライダーに運ばれた場所で、トマトを栽培したり、好天の週末に向こうの峰まで足を伸ばしたり、お隣さんにお土産をお持ちしたり、といった途方もなく日常的な「選択」の繰り返しだ。それが人の「歩み」なのだろう。

 辿った路に沿って残したあまたの選択が、やがて充足の軌跡となることを、私はあの時降り立った緑の地で希う、という選択をこの瞬間にしている。


#あの選択をしたから

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