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あおい あかり
2020年10月4日 02:04
念願の、ジュリエットとのデートを果たす事が出来た。 私のジュリエットは相変わらず美しくてかわいくて愛らしくて、再会してすぐに泣いてしまうのが彼女らしくて。 相変わらずふにゃりと緩んだ声で私を呼んでくれる幸福が、堪らなく愛おしかった。 1年半振りに会った彼女は伸びた背筋でまたロミオを見据えていて、嗚呼眩しいなぁと私の目をちかちかさせる。 彼女がしていた蝶のピアスのように、きらきら、ひら
2020年6月17日 18:34
センチメンタルなポエムを常日頃から語ってはいるが、『私』という人間を語る上で、奴はどうしたって避けることが出来ない存在だ。 正式にうつ病という診断を下されたのは確か中学生の中頃だった、と思う。 中学に上がるぐらいの頃からなんとなく、私自身はそんな気がしていたので、別に驚きはしなかった。けれど、隣で一緒に診断を聞いた母が酷く狼狽えていたのを覚えている。 症状というか片鱗というか、そういう
2020年6月7日 22:10
夜の散歩に無理やり引きずり出した時点で、結末は決まっていたような気がする。 散歩行こう、と言った私に、えー嫌や、歩きたくない、と駄々をこねた(ように私には思えた)彼を強引に夜の中に連れ出した。 始めは二人で散歩に行けることに浮き足立って、うきうきで飛び跳ねるように歩いていた。 けど、目的地のコンビニまで三分のニほど歩いた交番の前で、彼の言葉に私がかっとなってしまった。苛立った私の「だか
2020年6月6日 02:43
彼女と人生で初めて会った日、なんばの路上でたこ焼きを食べて、美味しい〜!って少し上を向いて笑った横顔を鮮明に覚えている。 これはごく個人的な、ある人への手紙である。彼女が見るか見ないかは問題ではなくて、ただ彼女に会いたすぎるのでここに私の気持ちをラブレターに認めることにする。(会う約束がコロナに潰された) 彼女と初めて知り合ったのは、私が二つ目の高校を退学するかしないか決めかねている頃だ
2020年4月12日 17:44
ここ数日、彼は所用でよく家を開けていて、泊まりがけで出ている日も多くて。 それはどうしようもない理由でまして浮気だとか、そういった類ではない事を私もきちんと知っているのだけれど、もちろん私はさみしくて孤独に溺れかけている。 所用の方が私より優先すべき事柄なのは理解しているけれど、理解しているからと言ってすべて納得ずくで待っていられる訳ではないのだ。 こういう時いつも思うけれど、言葉を
2020年3月29日 01:13
朝起きた時はなんとか無事でいられるのに、昼になり陽が傾いて夕方になってやがて太陽はおやすみして夜になって、その頃にはもう自分とさよならしたくなってくる。 私にとっての一日は死へ向かう一日だ。毎日毎日、飽きずに変わらずに。 夜を越えてやがて陽が昇ると、ようやくもう少しここにいてもいいかなと思える。 死ぬ、ということは怖いけれど、ここではないどこかに確実にいけるという面では、とても魅力的
2020年3月27日 02:26
孤独でいることと、一人でいること ふたりでいるけど、ひとりでいること ふたりだけど、ひとりを選ぶこと 全部違うな、と思う。 自分の為にお洒落をして出掛ける瞬間の幸福と、帰ってくるあの人の為においしいごはんを作って待っていることの幸福は、似ているようでまったく違う。 私は一人でいた頃の私も好きだった。 自分の為にアルバイトをして、自分の為に着飾って、自分の為に誰かを繋ぎ止めてい
2020年3月4日 19:19
「あなたじゃなきゃいけないの」 ほんとうの意味で、この人ではいけないなんて事はあるのだろうか。 どれだけ激しく愛していたとしても、もうこれ以上人を愛するなんてできないと思っていたとしても、さよならを告げて泣き暮れたとしても、でも代わりは現れるものだ、大体の場合。 身をもってそれを知っていたとしても、なんとなく知っているつもりになっていたとしても、それは静かな事実としてひっそり横たわっ
2020年2月28日 22:47
今こうして心臓が動き、肺が酸素を取り込もうと動いているこの瞬間、時間は刻一刻と前へ進んでいく。 いや、前へは進んでいないのかもしれない。 何かの作品で、「その場に留まる為には前へ進み続けなければいけない」といっていた。 それはそうだ、己がいくらじっとしていても、周りは容赦なくそれぞれの時間を進めていくのだから。 それに、人間には老いがある。芽吹き苗が伸び蕾をつけ花が咲き、実がなってやが
2020年2月24日 10:17
12歳頃から18歳の頃まで、私はただ無力で、それから無敵だった。 いや、もっと前、物心つく頃からだったような気もするし、今もそうなのかもしれない。 私は小学校に上がった頃から、学校には余り寄り付かない子供だった。 担任の先生が家まで車で迎えに来てくれたり、昼休みの時間に母が学校まで送ってくれたり。先生の、車高の低い紺の車をよく覚えている。 みんなが当たり前に通う学校という場所に、クラス