うつ病という名前の幼馴染み

 センチメンタルなポエムを常日頃から語ってはいるが、『私』という人間を語る上で、奴はどうしたって避けることが出来ない存在だ。

 正式にうつ病という診断を下されたのは確か中学生の中頃だった、と思う。
 中学に上がるぐらいの頃からなんとなく、私自身はそんな気がしていたので、別に驚きはしなかった。けれど、隣で一緒に診断を聞いた母が酷く狼狽えていたのを覚えている。

 症状というか片鱗というか、そういうものは小学生になった頃からあって、数多の病院に通い、色んな種類の薬を飲んだ。小学校低学年の頃から二十一歳の今の今まで、ほとんど毎日何かしらの薬を飲んでいる。

 小児うつ、という言葉がある。子供のうつだ。
 今はもう大人の部類だから違うと思うし、あの頃に診断書をもらった事がないから分からないけれど、最初はそういう病名だったのだろう。

 子供のうつは大人が罹るうつより厄介だと、当事者ながら思う。

 まず私の場合、原因が分からない。
 学校で虐められていた訳でもないし、両親から虐待されていた訳でもない。
 休みがちだったけれど学校に行けば遊んでくれる友達はいたし、家族仲は胸を張れるほど良好だ。

 学校や会社でのストレス、とか、そういう明確な原因のあるうつに正直憧れる。
 だってそれらの原因から離れれば、症状が改善するんでしょう?いいな、羨ましい、と思ってしまう。

 もちろんそういう人たちもきっと私と同じかそれ以上に苦しんでいるはずで、ごめんなさいとも思うけど、でもやっぱり羨ましい。

 私は小学校入学以前の記憶があまりなくて、物心つく、というのが遅かったんだろうなと自分では思っている。
 だから私は、物心ついた時からうつ病の感覚。

 そうするとどういうことが起きるかというと、己の性格と、うつ病の影響が判断出来ない。
 この感情は私の元の性格によるものなのか、うつ病が悪さをしている為なのか、はたまた薬の副作用なのか。
 とてつもない不安感や夜闇から襲ってくる希死念慮は何の所為なのか。わからない。

 うつ病はどんな友達より長い付き合いで、どんな友達より私を良く知っている。

 ここまでくると、もはやうつ病が私のアイデンティティだ。

 私は幸せだと思う自分の根底に希死念慮が常にあって、でもそうではない私を想像出来ない。

 うつ病じゃない私ってどんな私かな、と思うこともある。

 少なくともこんな面倒な性格じゃなかっただろう。
 でも、こんなにたくさんの事を考える人ではなかったかもしれない。

 それはちょっと、嫌だ。

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あおい あかり
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