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私の書く文章っておもしろい?


「もう3時か…」

ここ最近、寝ても覚めても頭の中は文章のことで、完全におかしな生活リズムになっていた。

全然上手く書けない、上手いってなに?じゃあ等身大で書こう、下手でもいいから……等身大ってなんだ?下手かどうか決めるのは私じゃなくない?

書いては消し、書いては消し、自分一人の引き出しで考えるからダメなんだと、名立たる著書を開いては圧倒され、ボコボコに打ちのめされる。サンドバックってこんな気持ちなのかな、だったらこの世の全ての母ちゃんの次に、サンドバックが打たれ強いのかもな。メキメキと音を立ててひしゃげていく気持ちと一緒にソファに突っ伏し、そんなことをぼーっと考えながらnoteを徘徊していたら、ある記事を見つけた。


私の文章は全部浅くて中途半端だ。まさになぜ書き続けているのか自分でも分かっていない状態。記事を書き進めながら「何の話をしているの?」と何度もこんがらがって書き直してを繰り返すのもしょっちゅう。

昔から書くことが好きだ。だから文章を仕事にして生きていきたいと思って、画面の向こう側の誰かへ書き続けている。

もちろん、経験ゼロの私が一筋縄にいくわけがないのは分かっている。それに今後書くことと違う選択をしても逃げではないし、悪でもないとも思う。でも、それを簡単に選んでしまうのはなんか悔しくて、やみくもに書き続ける自分がいる。壁に当たってからずっと、こんな調子でフラフラとどっちつかずな気持ちのままだ。


そんな今の私にとって、華さんの記事は刺さりすぎる内容だった。正直、読み進めるのが本当にキツかった。無意識に歯を食いしばってしまうくらい辛い描写と、耳の痛い言葉の連続。それと同時に、ここまで鮮明に景色が浮かぶ文章を書ける恐ろしさと執念、努力を感じざるを得ない。


気持ちがブレまくっていた私は、この記事に強く尻を叩かれたのだ。このチャンスに、なぜ書き続けるのか?という問いと真剣に向き合ってみることにした。


私は前職でアパレルに12年勤務していた。ずっと憧れた、最後まで大好きな仕事だった。よく〝好きなことを仕事にするのはやめたほうがいい〟みたいなのを聞くし、その気持ちも分かる。好きだったことを取り返しがつかないほど嫌いになってしまう可能性があるからだ。というか、実際何度も「もう辞めよう」と思ったし、毎晩転職サイトを眺めている時期もあった。

でも、どれだけ悩んだって結局仕事が好きだった。キツいダメ出しも消えたくなるほどの悔しさも全部正面から受け止めて、無理になったら逃げてみて、またぶつかって。そうするうちに泣くほど嬉しい言葉を貰ったりして。その繰り返しがいつのまにか頑張る理由に変わっていって、最終的には店長や人事部を任せてもらえるまで続けられた。


これといって突出したセンスも、技術も、カリスマ性もなかった私が続けられたのは、今思えば間違いなくしがみつき続けたからだと言える。そして、それが出来たのはしがみついてでもやりたいほど、仕事が好きだったからに他ならない。

辛くて苦しくて何度も投げ出そうとしても、なぜかその投げようとする手から離せない。それが〝好きなことを仕事にする〟ってことなんだと思う。

私の気持ちがフラフラしているのは、振り落とされそうなところに意地でもしがみついている真っ最中だからと考えたら、少し胸のつかえがとれた気がする。


今までの話をふまえて「なぜ、書き続けるの?」と聞かれたら、「しがみついてでもやりたいことだから」と答える。これはある種の本能だ。

もうやめようとノートを閉じてペンを置いても、数分後には手に取っている。少し冷静になるために離れたのに気がついたら書いてるのだ。ちょっと怖いけど、これはもう好きとか嫌いとか以前に、本能で動いてるとしか思えない。


私にとって書くことはしがみついてでもやりたい好きなことであり、生きていくうえでの本能でもある。


だから、書き続ける。


これは、向き合うきっかけをもらえなければ決して辿り着けなかった答えだ。そのきっかけを与えてくださった華さんには感謝しかない。



「またまだ!」と「もうダメだ…」を、今日も行ったり来たり。でも結局私は、どこまでいっても書くことが楽しくて仕方ない。


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