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〝普通は〟って誰が決めたんだ
私は子供の頃、いわゆるゲーム機を与えてもらったことがなかった。周りの友達がみんなDSやらxboxやらで遊んでいるのに対し、買ってもらったことがあるのはたまごっちくらいだった。
でも不思議とそれを不便に思ったり、羨ましいとか肩身が狭い思いをしたかというと、全くそんなこともなかった。
私があんまり興味がなかったっていうのもあるが、一番はゲーム不慣れで危ない操作をしかねない私のことも快く輪に入れてくれた友達のお陰だと思う。
「わーっ!!待ってにほ!そのボタンは押さないで!セーブセーブ!!」
「え?どれどれどれ」
こんな調子で遊んでいたのと、周りの友達が私だけゲームを持っていないことに対して何の疑問も持たず、当たり前のように一緒に居てくれたおかげで楽しい記憶がほとんどだ。
それと、心強い私の二人の妹とのたくさんの危険で素敵な思い出にも大いに助けられている。
長女で一度ハマるとしつこいクラッシャーが私
次女は我が道を行く鉄砲玉
三女は危険を顧みないチャレンジャー
そんな三人が揃ったら、そりゃあもうゲームとは比べ物にならない異常な遊びが生み出される。
例えば、
・農作業用の長〜いしなる棒でチャンバラ
(父のゲンコツが落ちる)
・ベランダからガラスのオブジェを投げ落とす(まんまるの透明ガラスの中のカラフルな石を取り出したかった、母のゲンコツが落ちる)
・祖父のお手製弓矢でカラスを追い回す
(祖母のゲンコツが落ちる)
私たちが外で遊んでいる間はほとんど祖父母が面倒を見てくれていたのだが、今思えば本当に本当に、本当に大変だったと思う。
ちょっとでも目を離そうもんならすぐに危険なことをし始める、姿が消える、置いておいた農具も消える。
恐怖の子守だ。
ある日、あまりの騒がしさに見かねた祖父からトンカチと釘を渡されたことがあった。
「これでその辺の木でも打ってろ。」
これを打っている間は静かにしてるだろうとふんだのだ。しかしこれが間違いだった。その日からしばらく祖父母は地獄だったと思う。
「カーン カーン カーン カーン」
「カンッ カンッ カンッ」
「カッカッカッカッカッカッ」
三者三様の釘打つ音がトンカントンカン、早朝から夕方まで響き渡る。休むことなく響き渡る。
確かに私たちは静かになった。とにかく新しく任された仕事を全うしようと夢中だった。
職人さながら流れる汗を拭いながら、朝から晩まで真剣に、家の車庫の柱と向き合っていた。
最終的にやめろと言われ収束した。
家の中で縦長の抱き枕に3人で乗り階段を滑り落ちてみたこともあった。
真ん中は特等席だ。先頭は何かあったら怖いし、後ろはお化けが出たら怖い。
じゃんけんで乗る順番を決めてクッションに跨ったらそれは始まる。
「せーのっ、ぎゃぁああぁあ〜〜〜!!!」
セーフティバーとかはないので、もちろん怪我した日もあった。この遊びは3人とも鮮明に覚えてる。
祖母が玄関のドアを開ける音がしたら終了だ。
一度気付かずに滑り落ちてしまい、大目玉を喰らった。
そんな風に危険な遊びばかりで、家も決して裕福ではなかったし、ど田舎だから大した娯楽もなかったけれど、それでもこの暮らしが楽しかった。
例えば、これらは令和には通用しないのだろうか。
もしそうなんだとしたら、とても寂しいと時代錯誤かもしれないが思ってしまう。
もちろん同じゲームを持っていれば一緒に遊ぶことは出来るし楽しい、けれど仮に持っていないことで友達の輪に入りづらくなってしまうような世の中だとしたら。
ゲーム機一つで、人との繋がりが簡単に変わってしまうのだとしたら。
便利な今の時代で、便利過ぎてしまったことで埋もれてしまった大事なことがあるような気がしてならない。
何が正しいかを問いたいのではなく、多様性と声高らかに言われる時代でも尚生まれる〝普通は〟〝みんなは〟というしがらみの様なものを壊したい。
〝普通〟なんて人の数だけあるに決まってる。
「普通はさ〜」じゃなくて「そうなんだね」って言えるしなやかな心を幾つになっても忘れないように。
そうやって言える大人になる為に、それぞれの〝普通〟を理解していきたい。
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