踊れと言われて遅刻魔を卒業した話
「……何回目ですか」
静かに、だが確かに威厳に満ちた声が聞こえてくる。
戦場に赴く前の戦士が、忠誠を誓った主の前にひれ伏すよう。いや、そんな立派なもんじゃない。
私たちは出勤早々に、本気の土下座をしていた。
「……5回目です」
そう力なく伝えて、ゆっくりと顔を上げると店長の肩が小刻みに震えているのが見える。笑ってんなこの人。
店長がこういうリアクションのときは、大体ロクな罰を与えられない。
そもそも遅刻しまくる私たちが1000悪いのだが、今度はなにを言われるんだ……と身構える。
コスプレか、ガングロギャルメイクか、1ヶ月おやつ抜きか。
「次遅刻したらね、二人にはこのパンツ平台の上でね、少女時代のGee踊ってもらうからねッ!!!」
少女時代……店の一番でかい商品の台の上で……?いつ……?
いろいろな疑問が頭を駆け巡ったが、たぶん問題はそこじゃない。
「ちなみに、統括マネージャーにも踊っていただきます」
「ぅええ?!!なんで俺まで?!」
数秒前までゲラゲラ笑っていた大男も、急に焦り始める。
ちょうど、勤めていたアパレルショップのリニューアルオープン当日だった気がする。
あろうことか、普段は本部で仕事をしているマネージャーがヘルプで来てくれるほど忙しい日に、我々は遅刻してしまった。
私たちがしでかしたせいで何の罪もないマネージャーまでもがアイドルグループに加入させられるのは、さすがに可哀想である。
「ちょおっと!!二人とも!!もう絶対遅刻しないでね!!俺のためにも!!」
遠くから聞こえるマネージャーの悲痛な叫びを聞きながら、私たちは静かに絶望していた。
そもそもこの前日、同期が「遅刻防止のために」うちに泊まりに来ていたはずだった。
同期は家から職場が遠かったので、職場まで徒歩15分だった私のアパートに泊まれば、寝坊しても間に合うはずと考えていたのだ。
その油断がさらなる寝坊を引き起こすとは知らずに。
そう、私たちはかつて、遅刻常習犯だった。
なぜ、そんなに朝起きられないのか。
理由はいろいろ思い浮かぶが、純粋に「疲れていた」のだと思う。
どこから石が飛んできてもおかしくないほど、甘ちゃんにも程がある言い訳だが、思い返してもそれしか理由が思い浮かばない。
寝坊する前日に共通するものがあるとしたなら、寝ながら寝る前の準備をしていたことだ。
マジ寝しながらドライヤー
夕食をマジ寝しながら食べる
トイレでマジ寝
寝る前のどこかの時間でマジ寝をかました次の日は、必ずといっていいほど遅刻していた。
ご存知の方もいるかもしれないが、実はアパレルは見た目よりかなりの肉体労働だ。
一日中立ちっぱなしなのはもちろん、店内をあちこち動き回り、裏ではパンパンに洋服が詰まった段ボールを一人で高い場所に上げたり下げたり、たまに落として大破させたりする。
加えて、ついこないだまで遊んでばかりの学生だったので、体も気持ちもかなり疲弊していた。
そんな状態、根性論ではどうにもならないが、どうにかしなければいけない。
さもなくばマネージャーもろとも、店先で踊りを披露させられる。うちの店長はやると決めたらやるのだ。
踊れと言われたときから数日は、経験したことのない緊張感に襲われていた。
しかし、どうしたもんか。
早めに寝ても、マジ寝ムーブが起こった次の日はほぼ寝坊するし、二人いればどちらかは起きるだろうと決行したお泊り作戦は、両者ともに寝過ごして失敗に終わった。
目覚まし時計を数分刻みでかける作戦は実験済みで、もう一人の私がアラームを全解除して二度寝していた。
我ながら眠りへの執着が強すぎる。
ちなみにベッドから遠いところに置いても、止めたあとに座ったまま二度寝してしまう。
そんな睡眠モンスターに、方法はあるのか。
それでもどうにかするしかない。
このままだと少女時代がどうとかいう以前に、会社をクビになるリスクの方が圧倒的に高い。
目を皿のようにして、ネットの海をもぐる。
なんでもいいから効果のありそうな方法を探した。
そんなときに、ある一つの方法に目が留まる。
「眠る前に自分に言い聞かせる……?」
そこに書かれていたのは、一種の自己暗示のような方法。
眠りにつく前に「私は必ず明日の〇時にスッキリと起きられる」と唱え、脳に言い聞かせるというものだった。
若干の胡散臭さを感じるものの、藁にもすがる思いだった私は「不思議なことにスッキリと必ず起きられる」という一文を信じることにした。
昔から人より自己暗示は強い方だ。
というか、もう他に方法がない。
これでダメだったら……覚悟を決めよう。
少々時代の新メンバーになる覚悟を。
「私は、いまからぐっすりと眠って疲れをしっかりとるので、明日の朝7時には、必ずスッキリと目覚めます」
いつも通り布団にもぐり、いつもと違う行動をする。それだけで少し気持ちが引きしまるようだった。
祈るような気持ちで就寝し、あっという間に朝がきた。
「……っ!!いま何時っ?!!」
パチッと目を覚ましたがアラームを止めた記憶がない。もしかして、また寝坊した?!
急いでスマホを確認して驚く。
時刻はアラームの鳴る前、6:50だったのだ。
昨夜の自己暗示の効果なのか、たまたまなのか分からなかったが、私はこの日から一度も遅刻をしなくなった。
奇跡としかいいようがないが、自己暗示が遅刻魔だった私を変えた。
ついでに、なぜか同じ遅刻魔仲間だった同期も、この頃から自然と遅刻がなくなった。
私も同期も、よほど少々時代を踊らされることが恐怖だったのだろう。きっかけをくれた店長とマネージャーには感謝しかない。
こうして、私たちはアイドルの道を免れ、無事にアパレル店員のまま働き続けることができた。
これで少しは、真っ当な社会人に近づけただろうか。
なんだか上手くいかないって、悩んでいる全ての働く人たちに伝えたい。遅刻せず真面目に毎日出社するって、相当すごいことです。
「店長って、一年目のときめちゃくちゃ遅刻してたって本当ですか?」
誰から聞いたのか、後輩に質問される。
思い当たる人間は数人しかいない。
「そだよ…」
「うわ、店長がすごいショモ…ってしちゃった。全然想像できないです!!なんで遅刻癖直ったんですか?」
「え〜……次やったら、少女時代踊れって言われたからかな……」
「はい?」