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「理想の親像」から離れた思い出を、子どもはこう解釈する
先日、「親離れできず苦しい私」を記事にしたところ予想以上の反響を頂いた。
中でも、記事にコメント下さった方の言葉に考えさせられた。
娘たちはまだ9歳と12歳ですが、
みそさんのような事、考えてくれる時が来るのかな、、来るように、毎日大切に子供達と過ごしていこうと改めて思いました。
「毎日大切に過ごす」
素敵な言葉。私も子どもができたら、喜んでそうするだろう。
だけど、思い出の中の両親は決して「理想の親像」に適うときばかりではなかった。
あの時、お父さんは、お母さんは、どういう気持ちだったんだろう。
会社の慰労会で飲みすぎて、娘の7歳の誕生日をすっぽかしてしまったお父さん
覚えている。
あの日、お母さんはピリピリしていた。
誰かの誕生日には必ずお寿司を取る。
けどあの日の夕飯の思い出はない。
多分、お母さんのピリピリが怖くて、でも笑わせたくて、子供なりに気を遣うのに精いっぱいだったんだろう。
お父さんがいないからケーキは明日。そう言われて私は悲しくなった。
ケーキが食べられないことより、誕生日にお父さんがいないことが悲しかった。
階段の5段目で泣きながらお父さんを待った。
5段目なら、帰ってきたお父さんの目にちょうど留まると思ったからだ。
泣き疲れて、うつらうつらしながら、目や鼻がヒリヒリするのを感じた。
「ごめん、本っ当にごめん」
遠くでお父さんが謝る声が聞こえた。眠くてよく覚えていない。
酔いがさめたお父さんに抱きかかえられ、布団まで連れて行ってもらった。
抱っこしてもらえたからいいや。そう思った。
今ならわかる。
飲みに誘われた手前断れなくて、「少し飲んで帰ろう」と思ってたけど
盛り上がってしまってつい飲みすぎたんだよね。
お父さんは私のお父さんだったけど、誰かの部下だったし、誰かの上司でもあった。
たまたま私の誕生日に起きてしまったから大惨事に聞こえるけど、そこに悪意なんてなかったんだよね。
「お酒を飲んで忘れた」といえば聞こえが悪いけれど、大人にはお酒を酌み交わしてでしか聞けない悩みや相談があることも、20歳を過ぎて知った。
だから全然気にしてない。
生まれて十数か月の妹を放置してゲームしてた私と弟に怒鳴ったお母さん
覚えている。
あの頃、お母さんは生まれたばかりの妹の世話に疲れ切っていた。
夜泣きの度に起こされ、レストランでは泣きはしないかとハラハラしながら食事していた。
一方の私と二歳違いの弟は遊び盛り。
妹はかわいいけど、気づけば家族になったよく泣くやつ位に思っていた。
何より、お母さんが遊んでくれなくなってつまらなかった。
「妹の面倒見てて」
と告げ、お母さんはつかの間の眠りについた。
妹は一人で遊んでいる。じゃあ、私たちもゲームしようよ…
買ってもらったばかりのDSを出して、通信プレイをした。
「なんで妹の面倒も見れないの」
起きてきたお母さんは大声でそう言い、私と弟は固まった。
私たちだって遊びたいのに、なんで我慢しなきゃいけないんだ。
おかしい。
お母さんとは夜まで口をきかなかった。
弟と一緒にテレビを見た。「銭金」。
いつもはお母さんも笑っていた。
「あやまりにいこうよ」
弟の手を引いた。
寝る部屋で横になっていたお母さんに、ごめんなさい、と告げた。
お母さんからは「ごめんね」とだけ返ってきた。
今ならわかる。
小さな子供を3人抱えて、家事洗濯もこなしていたお母さん。
「なぜ私だけこんなに頑張らなきゃいけないのか」
そんな思いが、つい口をついて出てしまっただけなんだよね。
お母さんは家事洗濯して遊んでくれるのが普通だと思っていたけど、その前に一人の人間だった。
やりたいこともあるし、体力や我慢だって限界がある。
「幼い子供に怒鳴った」部分だけ切り取って、自分を責めていたお母さんは、意味もよく理解せず謝った私たちに「ごめんね」と言ってくれた。
今の私が同じ状況になって言えるかどうかわからない。すごいと思う。
だから全然気にしてない。
一日一日、私はかつての両親に近づいている
昔は
「意味わからない」
「理解できない」
そう思っていた親の言動がわかるようになってきた。
それどころか、気づけは自分が同じ言動をしていることすらある。
きっと、私がかつての両親に近づいていくにつれ
今を生きる、そしてこれから生まれてくる子どもたちからは遠ざかってしまうんだと思う
だとしても、この感覚はリレーバトンのように順番に巡っていくもので
いつかの子供たちがこの場所に到達して、私はその先に行くこともあるんだと思う。
だとすれば、私が今感じる孤独や、いつか感じる虚しさも誰かが感じたそれに違いない。
そう考えたとき、はじめて「自分は一人じゃない」と思える気がする。