「〇〇であるべき」を片っ端から破ったら楽になった
人は大体「〇〇は〇〇であるべき」という型を持ってる。たぶんお父さんお母さんの教育方針とか、育った環境、思想による。
中でも厳しめのお家で育った人なんかは、気づかないうちにいろんな「べき」に縛られてるかもしれない。
いや自分自由だし!と思ってても、その怒りや息苦しさの元をたどると「べき」にたどり着くことが多い。意外と。
以下、典型的「私自由だし!」(と思い込んでた)みそと「べき」の戦いの記録。
周囲から言われる「育ちいいね~」誉め言葉だと思って調子乗ってた
新卒で入社してすぐ、生意気キャラで行くことにした。(なんで?)
そうある「べく」、社内で自分の思想に反するものには徹底的に対抗。
以下、実際に先輩や上長に向かって放った「べき」の数々。
お弁当は手作り一択
健康になりたいなら10時までに寝るべき
ゲームは無駄
TOEICは海外で通じないから不要
両親と仲良くあれ
黒の軽自動車は行いが悪い(ごめんなさい)
当時よく言われた言葉は「育ちいいね!」
完全に誉め言葉だと思って調子に乗ってた。
正しくはこれ、「おまえの信条なんぞ知るか(笑)」の意。そうとも知らず無知無知な新卒みそはめでたく「べき」のドツボにはまり続けました。
なんでそんな行儀悪いの?相手の行動をいちいちジャッジしては落胆する日々
ある日、同僚と映画を観る約束をした。
迎えに現れた彼の足元…なんか穴あいて…クロックス?
え、イオン行くけどいいの?
っていう私の問いかけには、(イオン行くなら靴履く「べき」だよ!)という謎の警告が込められてた。
返事は「え全然いいよ。楽だし。」
たまるストレス。
ここまで言ってるのに何でわからないの?それ行儀悪いのに。
こんな謎ジャッジを所かまわず続けたみそ、勝手に「ジャッジ疲れ」になる。(された側はいい迷惑だったろうに…ごめん)
誰だこんな「べき」植え付けたの!~親の良心でした~
入社して一年、永遠の実家暮らしを捨て一人暮らし開始。
しばらくして脳内はこんな感じになった。
明日の服床に置いとこ
パジャマの上からパーカーきて薬局いこ
掃除は今度でいいや
ご飯はレンチンで
マック食べよ
ここで気づく。
あ、人の目がないとこんなにも自分に素直になれるんだ。
自分は親に褒められたくて「べき」をやってたんだ。
「添加物は体に悪いから避ける」「ソシャゲは時間の無駄」
それは親の言葉で、別に自分が心から思ってたわけじゃなかった。
教えてくれてありがとう!でも私はこっちでいいや
「べき」は私の信条じゃないし、やりたくなかったらやらなくていい。
そう気づいてから、今までの「べき」をどんどん破ってきた。
そしたら周囲がやってることも気にならなくなってきた。
いつの間にかジャッジすることも、勝手に落胆することもなくなった。
両親からの「べき」は、きっと「こういう子に育ってほしい」「こういう失敗には遭わないでほしい」ていう優しさから生まれたものだと思う。
だとしても、自分がこころからそうだと思えない「べき」に対してはこういうようにしてる。
「確かにその通りかも。でも私はこのやり方でいいや」
自分を許すと、相手も許せるようになるってやつかもしれない。