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29歳の時に突然難病になった話をする〜治療開始編〜

こんにちは。  
こちらの続きを書いていこうと思います。

入院して1〜2週間経って、ATG治療というものを行った時期です。

骨髄移植を実施できるのは結構珍しい

この病気の数少ない治療方法で優先されるのが「骨髄移植」です。
どのような治療かはご存知の方も多いと思うのですが、この治療を行うためにはドナーが必要です。
ドナーになってもらうためには、僕のHLAと呼ばれる白血球の型が同じ方じゃないといけません。

まずは妹がいたので、妹に調べてもらいました。兄弟間だと4分の1の確率で一致するらしいです。
ただ妹とは一致せず、骨髄バンクで探すことに。

ただ僕の型が珍しいらしく、骨髄バンクにもいらっしゃらなかったので別の治療をすることになりました。

後々知りましたが、骨髄移植のドナー見つかるのは10万人に1人ぐらいのようですし、そこから提供していただけるのも様々な事情もあるので珍しいようですね。

余裕ある方は是非骨髄バンクに登録をお願い致します。命が救えます。

輸血に依存した状況が続く

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この時期は、造血をほとんどしてくれていなかったので輸血に頼っている状況でした。
血小板は毎日、赤血球は2〜3日に1回ぐらいだったでしょうか。

当時当たり前のように血をいただいていましたが、それも献血をしてくれてる人がいてこそです。本当に感謝してます。余裕ある方は献血もお願い致します。

入院中に最も苦労したことそれは「食事」

入院中に最も苦労したのは「食事」です。

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普通の入院食とは少し違って、火が通った柔らかいものが中心の病院食でした。
作った方には非常に申し訳ないのですが、手がつけられないようなものも多かったです。もちろん味は超薄味。
最終的には栄養が足りなくなり、栄養士の方が来る始末。

最後の方は前向きに対応していき、ふりかけやちょっとしたカレーやマヨネーズかけたりしてなんとか食べていました。

一般病棟だとコンビニに行って買い出しもできると思うんですが、それもできないのでカップ麺などを買ってきてもらって、お湯も入れてもらって食べていました。

この経験もあり、食べられることの有り難みを感じられるようになり、美味しいものを食べに行くのが趣味になりました。

お風呂に入れない代わりに

この時期はお風呂に入ることができませんでした。
無菌室にお風呂はないので、代わりに温かいタオルと足湯を毎日していました。
この時間が日々の楽しみで、小さなスピーカーで音楽聴きながら足湯をしていました。

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髪も看護師さんが洗ってくれるんですが、これは数日に一回、血液検査が良い時だけ。これもものすごく楽しみだったのを覚えてます。
お風呂めんどくさいと思う時あると思うんですが、お風呂に入る入らないとという選択肢を選べているだけでも幸せです。

ATG治療を実施

骨髄移植ができないので、ATGという治療を実施しました。
簡単に言うと、本来は自分を守るものである白血球をの働きを抑えて造血を図るというものらしいです。

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詳しくはこちら↓

点滴で5日間×24時間投与しました。
副作用やアナフィラキシーもなく無事終わったので、ホッとしたのを覚えています。

この治療のあとは血球の働きを抑えるので、必然的に免疫が弱くなりました。
そのため1日8回のうがいの徹底や、床に物を落としても拾わずに看護師さんに取ってもらうなど、コロナ禍とは比じゃないレベルで感染症対策を実施していました。

このあと、徐々に造血が回復していくことになります。
続きはこちら。

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チェルシー
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