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8月12日は、スーズダリができた日

1024年8月12日に、スーズダリができました。

2024年の今年は、1000年です。

ロシアで一番好きな町です。

スーズダリですが、1024年に歴史の書物に登場する、古い街です。

本来のロシアの姿を見たいという方にお勧めです。

私は、ロシアの中で一番好きな町です。

世界遺産で、町全体が博物館みたいです。

クレムリン、スパソ・エフフィミエフ修道院、木造建築博物館をご案内します。また、朝の散策も楽しめる街です。

私は、夏と冬と3回訪れたことがあるので、夏と冬との景色の違いもご紹介します。5100字を超えて長くなっていますので、お時間のある時に、ご覧ください。


木造建築博物館

町に着いて、6月は日が長いので、夕方6時くらいから木造建築博物館へ行きました。昔の建築をここへ移して展示しています。ポリツィオ村の倉庫です。

井戸です。

木造教会です。

農民の家です。

木造教会もあるので、中に入りました。小さい教会です。
1番下が地の列で、キリストと聖母マリアが描かれています。ここの教会は、門がはっきりと分かります。
2列目が、祭りの列です。
そして、3列目は、聖人の列です。
このように、教会の広さによって、イコンが少し変わります。

このパネルは、2011年の落雷で教会が燃えた後の修復作業について書かれています。

私が初めてスーズダリを訪れたのは、2011年8月。まさに、落雷直後で、教会の上の部分はありませんでした。
今しか撮れないと思って写真に撮りました。

使い捨てカメラで撮影

ガイドさんから落雷で壊れたと聞いたときはショックでしたが、逆に、普段は見られないものを見られたと考え方を変えました。

使い捨てカメラで撮影

修復後の写真は後ほどお見せします。

この教会が落雷にあったわけではありません。古い建物を保存するために、運ばれてきました。パタキノ村のヴォスクレセンスカヤ教会です。1776年の建築です。

風車です。規制線がありますが、左の風車は少し崩れかけていました。

これも農民の家です。丸太を組んでいる家です。
壁の部分の丸太を組んだら、5年間はそのまま放置するそうです。5年後に屋根の部分を作ります。丸太と丸太の間には、苔を乾かしたものを入れます。そうすることで、防寒対策になります。

水車です。

こちらは、裕福な農民の家です。2階建てになっているし、納屋もあります。中に入れますが、なぜか私は写真を撮っていません。

こちらも農民の家です。

お待たせしました。先ほど落雷で屋根の部分が燃えてしまった木造教会です。

これは、冬の写真です。2016年1月には落雷後の修理が終わっていました。写真では分かりませんが、この時の気温は-20度でした。

いくらかお金がかかりますが、馬車に乗って観光をすることもできます。

また、夏に戻りました。先ほどの木造建築博物館から歩いて、クレムリンへ行きます。小さい町なので、歩いてあちこち回ることができます。

冬はこのようになります。

先ほど見た川が完全に凍っています。

-20度で、午後2時半くらいです。いかにもロシアの風景で私は好きです。-20度になると、まつげが凍ります。鼻も凍ります。

春になって雪が融けると、橋ごと流され、夏の間に新しい橋がかけられます。

さて、夏の川です。6月は、夜9時くらいまで明るいので、入場を伴わない場所の散策であれば、ぶらりと散歩をして楽しめます。

落雷にあった木造教会です。

木造教会

クレムリンの方に歩いてきました。中に入ることはできませんが、ここにも木造教会があります。ニコーリスカヤ教会です。本当にタイムスリップしたかのような建物がたくさんあります。

冬はこんな感じです。

この時吹雪いてきて、ロシアの雰囲気満載でした。

ラジデェストヴェンスキー聖堂

また、夏です。ラジデェストヴェンスキー聖堂です。2011年に行ったときは修復中で中に入れませんでしたが、2018年の時は修復が終わり、中に入れました。スーズダリの中の最古の教会で、13世紀につくられています。

冬はこんな感じです。

1月2日に行きましたが、ロシア正教のクリスマスは1月7日なので、ヨールカがあります。

中に入ってみました。また、イコンです。一番下が地の列。キリスト、聖母マリア様の絵があり、門もあります。2列目は祭りです。3列目は聖人の列で、4列目は受難者の列、5列目は預言者の列です。教会によって、列の順番や描かれているものが違います。

スーズダリ1000年に合わせて、2024年に出版されたばかりのこの本にイコンのことが詳しく書かれています。

天井のフレスコ画は、修復したばかりです。もとは、13世紀に描かれたものです。

これは、比較的古いままかなと思い撮りました。上の青く塗られた部分には、これからイコン修復画家が描くと思います。スーズダリには、イコン修復を学べる大学があります。

17世紀の皇帝のランプです。

そして、これは、13世紀の扉で、聖書物語が金メッキで描かれた黄金の門です。

主教館

主教館もあるので、その中に入ってみました。これは、学校の教室です。

キリル文字の筆記体ですが、今と少し違います。

暖炉です。細かく見なかったので、私は見つけていませんが、スーズダリで買ったガイドブックによると日本のことも描かれているようです。実際に行ったら、ぜひ探してみてください。

世界地図の展示があり、ニフォンと書いてあります。

十字架の間です。

何か楽譜がありました。

何か楽器になっています。

湯沸しポットのサモワールです。

木彫り

クレムリンの外の道路にある木彫りです。

こちらも木彫りです。

朝の散策

さて、翌朝。スーズダリの町を散歩しました。博物館などが開く前の散歩はおすすめです。木造建築博物館が遠くに見えます。レーニン通りを北へ向かって歩きます。

2011年8月使い捨てカメラで撮影

コスマダミアンスカヤ教会です。1725年に建てられました。

1775年に建てられたロジュジェストヴェンスカヤ教会です。

1720年に建てられたイオアンナ・プレドテェチェンスキー教会です。

1720年に建てられたヴォスクレセンスカヤ教会です。

この広場では、市場なども出ていてにぎやかです。

2011年8月使い捨てカメラで撮影

奥のクリーム色の教会は、1739年に建てられたカザンスキー教会です。

第2次世界大戦の永遠の火です。


2011年8月に使い捨てカメラで撮影

1765年に建てられたクレスト・ニコーリスカヤ教会です。


1667年に建てられたラザレフスカヤ教会です。

撮った角度が違うけれども、同じ教会です。

2011年8月使い捨てカメラで撮影

13世紀初めに造られたリザバラジェーンスキー修道院です。


2011年8月使い捨てカメラで撮影

レーニン広場もあります。

先ほどのリザバラジェーンスキー修道院の鐘楼はナポレオンに勝利したのを記念して作られ、スズダリで一番高い建築です。

撮った角度が違うけれども、同じ鐘楼です。

2011年8月使い捨てカメラで撮影

南に戻りますが、川の方へ向かって行きます。ラザレフスカヤ教会の反対側から見た姿です。

カーメンカ川とあちこちに見える教会。この風景が昔ながらのロシアの風景であって、私は好きです。

1702年から1707年に建てられたフホット・エルサリムスカヤ教会です。


撮った角度が違うけれども、同じ教会です。

2011年8月使い捨てカメラで撮影

ウスペンスカヤ教会です。

これは、消防署です。

2011年8月使い捨てカメラで撮影

アレクセイ・アレクセーヴィチ・レベーデフの銅像です。スーズダリで生まれたソビエトの詩人です。1912年に生まれて、1941年に亡くなっています。

クレムリンに戻ってきました。

牛もいて、のどかな風景です。1744年に建てられたイリインスカヤ教会です。これで、朝の散歩は終わりました。ホテルに一度戻り、車でもう一度出発です。

スモーレンスカヤ教会です。


次に行くのは、道路を渡って、スパソ・エフフィーミエフ修道院です。


2011年8月に使い捨てカメラで撮影

道路を渡ってから見たスモーレンスカヤ教会です。


2011年8月に使い捨てカメラで撮影
2011年8月に使い捨てカメラで撮影

スパソ・エフフィーミエフ修道院

チケットを買って、スパソ・エフフィーミエフ修道院に入りました。この白い建物は、ブラゴヴェシェンスカヤ教会で、2階は、博物館になっています。


2011年8月に使い捨てカメラで撮影

そして、後ろを振り返ると、今、入ったばかりの塔です。

こちらは、プレオブラジェンスキー聖堂です。

2011年8月に使い捨てカメラで撮影

中は、修復が進み、このようになっています。


2011年に使い捨てカメラで撮影

残念ながらきれいになり過ぎてしまいました。というのは、私が初めてここを訪れたのは2011年です。その時は、内部の壁のあちこちに穴が開いていました。

特にガイドさんは説明をしなかったけれども、直感的に処刑の後だと思いました。修復がすすみ、その穴はすべてなくなってしまいました。2011年の時のガイドさんは一切話をしませんでしたが、2018年に夫と一緒に行ったときに、夫が「スーズダリの刑務所は、一番ひどかった刑務所です。」と話していました。「どうして?」と訊くと、「窓にガラスが入っていなかったから。」と言いました。昔のスーズダリ辺りだと、-30度、-40度は当たり前です。そんな中ガラスが入っていなければ、寒いため、ひどかったということです。今では、スーズダリについて、日本語に訳されたガイドブックも売られています。

これは、木造博物館の中で買いました。それを読むと、やはりこの場所にひそかに刑務所があったことの説明がありました。のちほど、刑務所の所もご案内します。ですので、2011年に直感的に処刑と思ったことはやはり確かにあったことでした。

これは、ドミートリー・パジャールスキーが埋葬された地に建てられた廟です。パジャールスキーというのは、赤の広場にある聖ワシリー寺院の前に銅像がる人です。ポーランドの侵攻からモスクワを守った人です。

2011年8月に使い捨てカメラで撮影

鐘楼です。ここでは、観光客向けに鐘を鳴らしています。周りの建物などを写真に撮りながら、鐘が鳴るのを待ちました。

2011年8月に使い捨てカメラで撮影

これは、鐘を鳴らしているところです。足と手を使って鳴らします。

ここは、クレムリンだと思える景色です。クレムリンとは、要塞ということです。敵の侵入を防ぐためにこのような要塞が作られました。

実際に要塞に登って歩くことも歩くこともできるので、お時間がある場合は登って見てください。ツアーだとたぶんここに登る時間はありません。

さて、この白い壁はなんだと思いますか?

刑務所の壁です。1767年に精神異常者のための刑務所が作られました。その後、1825年に監獄が増設され、1829年には、デカブリストの乱の1人のフョードル・シャハフスコイが獄死し、埋葬されています。ソビエト時代になってからの1923年には修道院が閉鎖され、政治犯の収容所となりました。1940年と41年は、チェコ軍の捕虜収容所になったようです。その後は、軍事捕虜収容所になりました。先ほどお見せした修道院の壁にあった穴ですが、このソビエト時代に政治犯の収容所になった時にできたものだと思います。戦後は、青少年の矯正施設になりました。1967年に収容所としての役割を終え、修道院の修復作業が開始されました。

各地にあった収容所の地図です。

収容所の中で歌っていたようで、楽譜の展示もありました。

収容所の壁です。

そして、こちらが穴が開いていたブレオジェンスキー修道院です。

写真スポット

修道院から外に出て、右に行くと、写真スポットがあります。もしスーズダリを訪れたら、ここからの景色を見てください。これは、6月です。

これは、1月です。先ほどの川もしっかり凍っています。

なんだかこのようなのどかな風景を見ていると、そのすぐ近くに収容所があったなんて信じられませんが、つい半世紀前までは収容所がありました。

年によって違いますが、6月でこのような服装をしています。

食べた料理

修道院の前でいい匂いがしていました。シャシリクです。鉄串に肉をさして焼きます。鉄は熱くなるので、肉が外からも中からも焼けます。シャシリクを焼くのは男性という風になっています。この臭いにつられてお昼はシャシリクにしました。ロシアは、5月から夏にかけて、ダーチャと言われる別荘でよくシャシリクをやります。

こちらは、酸味がきいたサリャンカスープです。

そして、こちらは、ロシアのスープのシーです。キャベツのスープです。
サワークリームを入れて、食べます。

この記事を書いていたら、また、スーズダリに行きたくなりました。

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