★東日本大震災:被災地を訪ねる★⑤仙台空港へ
今日は3月11日。東日本大震災の当日です。改めて震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りするのと、東北や他の災害で被災した地域の復興を心から祈念したいと思い、先ほど地元の駅前でしばし立ち止まり黙とうしました。
私自身、1995年の阪神・淡路大震災(京都の自宅にて)と、2011年の東日本大震災(新宿の職場にて)、2回とも被災地とは少し離れた場所で経験しています。2回の体験の共通項は、「震度5強の揺れ」。震度5強でも十分に強くて恐怖感があり、私の身近な場所でガラスが割れたり家具が倒れたり、ところどころで構造物に大きな被害が出て、数名くらいの方がお亡くなりになられたような場所で、ある意味被災地にいたのかもしれませんが、ライフラインの復旧も早く、自身の生活には大きな支障をきたさなかったので、自分自身が被災したとは思っていません。その後被災の酷かった阪神地域や東北地方に何度か足を運び、その被害の凄さを思い知らされ、土木技術者として少しでもお役に立ちたいと思っていたところでした。
そんな前置きを踏まえ、前回名取市閖上地区を見て回った被災地訪問の続き、最後は仙台空港を訪れましたので、そちらをご紹介したいと思います。(あ、空港から飛行機に乗ったわけではありません(笑)。被災地訪問&お土産等の買い物のために立ち寄りました。)
(前回の投稿はこちら)
■仙台空港の津波被害
仙台空港は、津波で被災したことを忘れてしまうくらい、元の形で運用されていましたが、2011年3月11日の当日は、大きな被害を受けました。(こちらの動画、地震動や津波の生々しい映像なので、閲覧注意です。)
昭和50年の地図と今の地図を比べてみましょう。仙台空港は、名取市と岩沼市にまたがって建設されていて、名取市側にターミナルビルがあります。空港は次第に拡張され、仙台空港アクセス鉄道や、仙台東部道路ができ、便利な空港になりました。
右の地図をよく見ると、空港の海側の貞山堀(選奨土木遺産の運河)の東側にあった、「北釜」「相釜」という集落が消えてしまっていることがわかります。ここは津波の被害の影響を受けているのでしょうね。
仙台空港は、津波災害により壊滅的な被害を受けましたが、米軍の「トモダチ作戦」により早期に啓開作戦が行われ、物資輸送の拠点として活躍し始め、震災からわずか1か月で国内線の運航が再開されました。
そんな仙台空港のいまを歩きます。
■仙台空港を歩く
仙台空港は、日本初の国が管理する空港のコンセッション(民間運営)事業の適用例として、2016年に東急や前田建設工業などの企業により出資された民間会社により運営されています。
民営化されてからは、ターミナルビルの活性化や、国際線の誘致などが進み、賑やかになりました。
被災地訪問も終了。仙台駅から新幹線に乗り、帰途につきました。
■終わりに
東北地方の被災地をいくつか訪れました。町中は、復旧・復興が進んでいるように見えますが、その周辺には、被災してから人の営みがなかなか戻らない場所があるなど、それぞれの場所の特有の課題があるようです。大切なことは、被災したということを忘れないことだと思います。いろんな形で伝え、観光するような形でその場を訪れ、その場所の魅力を再認識し、災害からの復興状況を眺め、美味しいものをいただく、というようなことを、また今度実践したいな、と思った訪問でした。