【節約生活#725】お金に「介護」されたくない
趣味で節約生活をはじめてみた。
肉体的、精神的、社会的な健康を目指しながら節約をするというルールで挑戦中。
(2024,6.15更新 それまでは「健康で文化的な生活をしながら節約をする」というルール)
じりつ
介護という言葉が悪いのかもしれない。介護を受ける人は、やってもらう人、受け身な人という印象を受ける。
前に、介護の業界でも働いていたことがあるけれども、「介護」を法律や職種で言うなら、介護はできないことを肩代わりするというものではない。お世話をする、してもらうというのもニュアンス的にはしっくりこない。
もちろん客商売でもない。
ただ、実際は言葉の印象通りに受け身の状態になっている場面も多い。
いわゆる介護のしすぎである。
そうすると、できることもできなくなってくる。
自立や自尊心というものは簡単に損なわれてしまうのだということを、働いていたときに身を持って学んだ。
自立や自尊心というものを保つことは実は難しい。
自分のこと、自分の大事なことですら、何も考えずに人任せにしてしまう人のなんと多いことか。それが、自分をなくす第一歩でもあるというのに。
思い返せば、子どもが自立するまでに何年もの相当の努力を必要とする。
自立した生活をおくろうとすることもなかなかにたいへんである。心身が弱ってくると簡単に自分であることを明け渡したくなってしまうのかもしれない。
じりつは自立であり、自律でもある。自分をコントールしないで自分自身であり続けることは難しい。
よくよく考えると、お金は自立や自律を妨げる要因にもなり得る。
お金に介護されたくない
お金が自立低下につながることもある。
お金でモノやサービスを買うことは、モノを得ること、サービスを受けることを人任せにすることである。
もしも自分でできること、自分ですべきことを人任せにしてしまうとどうなるか。以前はできていたことすらできなくなってしまうことがある。
若いお金のないころは、安い食材を料理して食べていた。栄養は考慮されていなかったので、心身の不調はそれが原因だったかもしれない。
大人になって、食事を外食で使うようになった。やっとレストランとか居酒屋とかに行ける身分になったのだと勘違いしていた。いろいろと外食していくと、外食でも電子レンジであたためる程度のものが出されることがなんと多いことか。
レンジでチン程度のことすらお金を出してやってもらうようになってしまっていた。
そういえば、最近会った人も料理をしたことのない男性であった。病気になり、仕事を継続することが難しくなっていた。自分とは違って、料理をしたこともない人であった。
家で何もすることのない時間を過ごしているようであった。
もちろん、食事や料理を自分にとってかけがえのないものとする価値観があるかどうかは、ひとそれぞれである。自分の価値観を押しつけてはいけない。
食事や料理はただの一例で、自分の大切にしていることである。
だから、自分がただ「便利だから」という理由でお金で解決してしまうことを選択し続けると本当にじりつができなくなってしまう。
自律できなくなり、自立も低下する。
お金に「介護」されている状態である。ここで言う介護は自分の知っている介護保険や介護業界で使用する介護ではない。ただ、受け身の人生になってしまうという意味での介護である。
せめて自分の大事なことは自分で。お金にまかせずに続けていきたい。