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人は見た目?見た目の奥の話をしたい自分

今回は悩みとまではいかないけれど、私のうまくいかなくてもどかしい話をお聞きくだされば幸いです。

私は日ごろ特別暗くもなく、特別元気でもなく、なんてことない顔で生きている、と思います。

比較的苦い経験も重ねている方ですが、ありがたいことに見た目だけではそうは見られないことが多いです。
(清潔感は重視しています。センスはともかく、服がすきです。)

私自身は良くも悪くも掘り下げて考える性格で、本質的な話や物事の奥深い話が好きです。しかし特別その必要がない限り、自分の考えを発表することはあまりありません。(日常では、このnoteに散らかしているような言葉はほとんど語りません。)
相手に求められていない、興味のないような話はしてもよくないなと思うからです。

また自分の生まれた家庭環境の話など、いろいろな理由から、ほとんど言いませんし、その機会もありません。(これはきっと家庭環境複雑な人あるあるですね。)

ふとした時に、そういう話に触れる機会があったとき、意外だととても驚かれます。

第一印象と違うともよく言われます。
知れば知るほど見た目と中身にギャップがあるとも言われます。

長女だということも、自分をよく知っている人にはしっくり納得してもらえますが、あまり自分をよく知らない人には上に兄姉がいるように見られたりします。

前置きが長くなりました。
何が言いたいのかと言うと、人は(自分も含めて)見た目ではないとわかっていながら、見た目で簡単に判断するものだということはやはり否めないと思います。
またそれしか情報が少なかったら、そうするのはしかたないことなのかもしれません。
「人は見た目が100%」なんてドラマ(漫画)や、「見た目が9割」という書籍もありました。

だから、これを逆に利用することも時には大切かもしれません。

私が具体的にちょっと苦闘している例は下記のようなことです。
私はどこか体調を崩して病院にかかると、よく"あなたは元気そうだ、大丈夫そうだ"と言われがちです。
本人はかなり辛いとうったえているつもりなのに。
だから、病院にはすっぴんで眉毛だけ描いて行き、声は暗めに、自分の気持ちより辛さ上乗せで話すことにしました。
そうしたら、少しは改善されているように感じます。

自分の見せ方。
自分の状況がより自分の思っているように伝わるやり方。
その工夫も大事ですね。
生きるのって難しいです。

私はしばしば伝えているつもりで、伝わっていかないことのはがゆさを握りしめています。
(これはHSPまたはINFJあるあるなのでしょうか。私はHSPでINFJです。)

上記のように大丈夫じゃないのに、大丈夫だと思われがちなのは、なんとも言えない気持ちになるときがあります。
平気なフリをしているわけではなく、周りを、相手を、悲しませたくない、困らせたくない、または不快にさせたくないというのはいつもあります。そのバランスがはかれていないのでしょうか。

(上手く、器用に生きられないと吐露したとき、器用になんて生きない方がいいよと言ってくれた方がいました。
私は一応この自分でいいとは思っています。)

私は幸福についても、人生についても、表面的な豊かさの話にはあまり興味をひかれないのです。
(とは言っても、それも重要だと知っています。)
もっと深いところの話がしたい。
でも、多くの人は、その表面の部分にばかり目を向けているように感じてしまう自分がいます。

考え過ぎ、真面目か、と言われたりもします。

理解されない寂しさは、まだまだ私の中の何かを育てつづけてくれるはずです。


今回は、私の悩みをお聞きいただいているということもあり、文体を変えてみました。
いつも、"だ・である調"なので、私ウザい感じなのかな?とかも気にしてはいます。
(そこまでちゃんと見てないから大丈夫とのツッコミもあるかもしれません。しかしこんな私の乱れた文章を気にかけてくださる方もいらっしゃるのを感謝しています。)
このnoteでは、ある意味、私は私に言い聞かせているような面もあり、そういう形になっています、すみません。🙇‍♀️

今回は自分でも答えは出ていないようなことを、言葉にしてみました。

ここまで読んでくださって、お時間いただき、ありがとうございます。

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