大丈夫
今日もあいもかわらずありきたりな、不器用な大人の日々模索記録をただ記します。
私はきっと、自分が楽をすること、良きことの中に自分があることを本当の意味で自分に許せていない。
それは"許す"という言葉ほど大袈裟なことでもなく、こうやって言葉にするほどはっきりと、明確に理解しているのではないけれど。
私は自分に優しくしているつもりもあるし、自分の良き未来に希望を持っている自覚がある。
だからついさっきまで許せていないなんてことにも気付いていなかったし、人に言われても、そんなことないけどなあって思っていた。
(私は自分のことを全然わかっていない。見えてない。
痛くても、触れたくない傷も、きちんともっと真っ直ぐに見つめられるようになりたい。
自分とちゃんと向き合いたい。
言葉で言うほど、これは本当に容易ではないけれど。)
だけど、私は自分が辛い状況にあるとき、難しさに直面したときに、良くも悪くも変な意味で腹を括っていて、その状況を脱する未来をあまり想像しないようにしている。
あまりにも無意識のうちに。
私にはそういうのないと思うってなんとなく遠ざけている。だけどそうかもしれない(脱する時がくる)と思いたい自分もいる矛盾。
私をくるしめているのは、紛れもなくこれだと気付いた。
いつも問題は自分の中にある。
自分の中の奥底にある。
そんなことくらい、って些細なことのように思えるけれど、この気持ちが自分で自分の首をしめているんだ。
酸いも甘いもどちらもあって人生なのだから、時には自分に飛び切り甘い未来を思い描いたっていい。
むしろ思い描くくらい、誰に何に迷惑がかかるのだろうか。
そんな自分を許せたなら、日々をもっと愛し大切にできるし、雲や霧が晴れ明るい気持ちになれるし、前を向くことができる。
未来を信じることができる。
自分を信じることができる。
視界を広げて、一つ一つの尊さにちゃんと気付くことができる。
確かに一生懸命だけじゃどうにもならないことばっかりだけれど、一生懸命生きていたら、ちゃんときっと前進できている、いく。
そう信じる。
きっと大丈夫。