自分を軽やかに
最近、曖昧な変な文章ばかり投下してすみません。
人生、生き方リニューアル中です。
嬉しいこと、喜ばしいことがあれば、感謝だけで胸をいっぱいにし、そんなに幸せなのだからと、大変なことに決してめげずに弱音吐かずにいないといけないのでしょうか?
私はなんて、自分をわけのわからない固定概念で縛っているのでしょう。
字に起こしてみて、上記の問いに対する答えは明らかに、"そんなはずはない。いくら幸せや楽しみがあったって、辛いものは辛い、痛いことは痛いのだから、それはそのままでいいのだよ。"そう言えるのに。
無意識に、自分が願って、一つ願いが叶ったのだから、辛いとか大変とか言うのって、思うのってどうなのって自分に言ってしまっていた。(最近、自己対話無意識のうちにシリーズ多し。)
幸せなことはつづいたらだめなの?
願いは叶った後また叶ったらだめなの?
いいに決まってるってのに。
辛いことだって、思い通りにならないことだって度々連続して起きてくるのだから、その逆もいいに決まってる。
もうやめよう。やめたい。自分で自分に厳しさ与えるの。
でもやり方不明。
あなたはストイックだから、と言ってもらえることが多いけれど、いまいちどういう風にそうなっているのか自分ではわからなくて。
それを一つ一つ紐解いている最近なのだと思う。
あ、これかと一つ一つ見つけていく作業。
すこし気の遠くなる思い。
きっと、生まれ持った性質と育ってきた環境が強く影響を私の心にのこしている。
そう改めて感じる。
人によっては、楽に考えればいいじゃん、ってそれだけで終わる話なのかもしれない。
だけど私にはむずかしい。
一筋縄にいく話ではない。
私は元々HSP気質なんだろうけど、INFJには後天的になったような気がする。
小学生時代、中高生、大学生、社会人はじめ時代、今と辿っていけば自分は時々で全然違う。
中高生時代に家族がいろいろあって、急に必要以上に完ぺき主義?、きちんとしっかり者になろうと強くしていて。(元ヤングケアラーです)
でも小学生〜中学生初期時代くらいまで、私はそんな完ぺきに拘っていなかったし、なんならしっかりもきちんともしてないポンコツだった。よわよわだった。
経験を重ねた今の自分が一番すき。
だけど、自分を形成しているものと向き合うことの大事さを今ひしひしと感じている。
若い頃はもっと、無防備?だった。願いは叶って当たり前みたいに感じてる時だってあった。何でもできる気がしていた。
だけど、現実社会はそうそう甘くはない。沢山の壁、努力したって動かせない壁にいっぱい出会った。
がんばっても、がんばっても逆行している気さえしていた。
だけど。
もう一度、あの頃みたいには、バカみたいにまっすぐ信じれたりはしないけれど。
もう一度今、あの気持ちを取り戻したい。
あの頃の自分ではなく、経験を重ねた今の自分がそれを身につけたら、めっちゃいい感じがする。(自画自賛)
私必ず幸せになれるはず(今が不幸なのではないです)。
私の願いは叶っていいはず。
もっと人間らしい、一つ一つの感情を大切に。
人のことなら、そう言えるのに。
自分って一番自分と距離が近いから、近すぎて見えなくなる。
幸せなのに、大変だったら、泣いていいし、嘆いていい。
ちゃんと幸せを私は知っているのだから。
世の中、幸せや喜びの中にも変化していくってことは、少なからず心に負担はある。
楽しさの中にもストレスはある。
例えばマリッジブルーとか。
だから、どうか、その感情もちゃんと味わって自分の血肉にすればいい。
〇〇しなくちゃ、なんてことは本当は存在しないのかもしれない。
私が勝手に"〇〇しなくちゃ"を作り出して、自分にそうであれと言い聞かせてしまっている。
自由を自分から奪っているのは自分だ。
もっと私は人間であれ。
そこからで遅くない。大人であるのは。
平均より早いうちから大人でいなければならなかった自分。
いろいろな気持ちを押し殺したり、封じ込めたり、こうあらねばでいっぱい固めたり。
その影響は今にも引き継がれてる。
だけど、本来の私はもっと、自由。人間。
例えばあの曲の、
"ありのままで〜〜少しも寒くないわ"
っていうのの逆のイメージ。
寒いものは寒いわ。
(この歌詞も深く読めば、ありのままを生きることでつよくなれるということだと思うのだけど。すみません。ディスっていません。アナ雪だいすきです。)
頼りにしてもらえることが多くありがたいけど、ほんとはもっと頼りたい人。
願いは叶っていいんだよ。
むしろ叶えるために願うんだよ。
どんなに幸せでも、しんどい時はしんどいでいいんだよ。
あなたはあなたでいいんだよ。
また一つ自分を縛っていた目に見えないものを、今日も一つ捨てていこう。
軽やかに生きたい。