守られてるフリをして
愛とはなんだろう?
急にどうしたんでしょうね。笑
私はSMAPファンなのですが(解散してるけど)、有名な曲、らいおんハートには実はアンサーソングがあることご存知でしょうか。
"エンジェルはーと"
タイトルも呼応していて、エンジェルがカタカナはーとがひらがなと、すてきだなと思います。
この曲がとてもだいすきで、こんな風な女性、人になりたいなと思います。
(話が飛躍します。悪しからず🙇♀️)
守られてるふりをして、助けられてるふりをして少し守ったり、助けてあげられるような人になりたい。
相手に気付かれなくっていい。
むしろしてあげたって思ってくれていい。
私がありがとうって言いたいから。
少しでも、なにかかけらでも、いい。そっと、ささやかに、さりげなく、誰かの役に立ちたい。
感謝なんてされなくっていい。
ただ笑ってくれるなら、つらい心があれば、その隙間に風が吹いてくれたなら、私はそれでいい。
微力で無力な私だけど、そうと知りながら、その痛み忘れる一瞬、どうか私につくらせてください。
力になりたい、だとか大それたことは言わない。
押しつけたくない。
あなたが笑っているのが一番いい。
安心してほしい。
私は本来、人がすきな人だったこと、思い出してきた。
中高生時代、いじめられたりしたけれど、家庭は台風で嵐だったけれど、先生方に恵まれて、ヤングケアラーだったけれど、その中でも、大人を純粋素直にしんじていた。
友だちと話すのがすきだった。
人見知りなくせに、人がだいすきだった。
だけど、社会に出て、知らなかった人間の醜さ(自分も含む)に遭遇しすぎて、もうそれはそれは恐怖でしかなくて、性格上危険への察知力だけが高まって、人がすきじゃないと言うようになった。
だから、それでも。むしろいろいろ見てきたからこそ、そこから、生涯という長いスパンで人を愛し人と生きていくことに喜びを見出せるのか、それを私はここ10年くらい自分の人生の宿題にしてきた。
今ここにきて、繋がってきた。
私が人を純粋素直にすきな気持ちを思い出してきた。
こんなに早くにそう言えるなんて思ってもみなかった。
相変わらず群れることはすきではないけれど、INFJ特有のところは変わらないけれど。
最近の私は、今までの人への警戒心や抵抗感がないことに気付いた。
(これは、大人になったから、+人を洞察するのが趣味みたいな私なので、だいたいその人のことはわかる気がしている。だから誰かれかまわずというわけではなく、きちんと自分の中で考えながら、それぞれとの距離感ははかっていながら。←偉そうに感じたらすみません。)
これは生きる場所を変えたからというのは大きい。
好きな人、親しみのある人、友人、大切な人のことは大切にできる。
私が宿題にしていたのは、そうじゃない大多数のなにかしらのかかわりのある人のこと。
すきじゃない人をすきになるとか、
そんなまやかし、そんな極端なことを言ってるんじゃなくて。
苦手だから距離をとってる人に対しても愛はどんな形でも、いっぱいおくることができる。
冒頭から、話が飛びすぎてほんとすみません!
与えられてるようで、与えていけるような、それが主張もなく、そっと消えていく自分だけが知っているような、しっかりじゃなくふんわりとしたものであればいい。
話を少し曲に戻して。
こんな夫婦、素敵で理想だと思う。
守るために必死でがんばってくれる、そんなあなたを包まれてるフリをしながら、包んであげたいと。
"きっとできるはずだから"このフレーズと
という歌詞があるのですが、たまらなく心がキュンとぎゅんとします。
優しくてつよくてあたたかい。
私はこの曲を聴きながら、夫婦、家族、またはそれを超えた人と人との愛のことに想いを馳せながら、なんとなく考えたことをなんとなくここに書きたくなって書きました。
人と人って、かならずきっと何かを与え合って分け合って生きてるんだなと思います。
ただそこにいるだけのようなときも。
苦い思い出に登場するあの人も。
綺麗な思い出にしなくたって、それでいい。
あなたと過ごしたあの時間はかけがえのない二度と戻らない瞬間だから。
(これは過去かかわった、どちらかと言えばむしろ辛い記憶をくれた人に言っています。言葉だけを見たら好きだった人に言っているみたい。笑)
それも私の人生の大切な一部分、1ページのひとつ。
愛は、喜びは、幸せは、時に真逆の形に変形して、私のもとに降ってくる。
だけどそれは多分きっと、ぜんぶが私の愛とか喜び、幸せの基になるもの。
そう、まっすぐに信じて受け取っていこう。
またまた、話があっちゃこっちゃで、ごめんなさい。
ここまで長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。