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コロナ禍を乗り切って!大好きな彼女に笑顔を 自死した兄とのbirthdayに綴る

助けたいのに何もできない…

今、私はとても無力で仕方ない。

彼女は私の誕生日には欠かさずメッセージをくれる。

兄と私におめでとうと言ってくれる。

それは兄が亡くなった後もずっと…


           ✳︎✳︎✳︎


私の兄は高2の時に亡くなった。

自殺だった。


統合失調症で閉鎖病棟に入院していて、その病棟の数階上から落ちてしまった。


誰もその姿を見ていない。

兄はデイケアへ行く為に下の階に降りるはずが上へ上がったようで、煙を逃す小さな小窓から…


あれは誕生日を過ぎた後だったと思う。突然のことに私は何が起きたのか受け止められずにいた。


それでも現実を直視する他なかった。


病院のICUにいた兄の顔はエイリアンのように腫れ上がっていて、人間の顔とは思えなかった。その姿をみた瞬間、母も私も脳貧血を起こした。


それから数日後、兄は脳圧が下がらず脳死状態となった。

生きているのに、もう生きる見込みがない状態だった。

ICUから出て1ヶ月半ほどした頃に、兄の呼吸は止まってしまった。


それでも私たちにはそれを受け止めるための時間が少しは確保された。

延命措置をしていたからその時間ができた。

脳死と分かった時点で、生きる見込みがないのだからそこでいろんな管を外すこともできた。

延命措置をするかどうか両親は決めなければならなかった。


呼吸が止まった時の兄は、元の顔に戻っていて

とても穏やかな顔をしていた。


最期はみんなでありがとうと伝え続けた。

あれは雨の日だった。


           ✳︎✳︎✳︎


通夜の日、親戚一同が集まった畳の部屋に兄は寝ていた。

そうした時ほど冷静になってテキパキと動き始めてしまう私がいた。


父と母は憔悴しきっていたし、動ける私が動こうとも思った。


それなのに、畳に寝ている兄を見た瞬間


自分でもびっくりした。

気がついたら

「嫌ーーーーーーー!」

と悲鳴をあげて畳に膝をついていたのは私だった。


それをどこか遠くから見ているような感覚にもなって、

自分のこととは思えなかった。


私自身にドラマで観たような展開が訪れるなんてこれっぽちも思っていなかった。


           ✳︎✳︎✳︎


そうして死んでしまった兄と私は双子で、

三十数年前の今日(ここを書いていた時点で7月2日)

母のお腹から帝王切開で生まれたのだった。


そう、今日が私たちの誕生日


母は今日、私が生まれた時刻におめでとうと言ってくれた。

私がありがとうだよと伝えた。

兄は私が生まれた数分前に生まれた。



兄が死んだあの時、母は私に


「一緒に生まれたのにごめんね。」


と泣いていた。忘れられない一言だ。

母の気持ちを思うと何年経っても目頭が熱くなる。


           ✳︎✳︎✳︎


そして兄の好きだった子が、今日もおめでとうとメールをくれた彼女で

彼女は今、自分自身の背負うものがたくさんあって、私なんかにメールを送ってる場合じゃないのに、それでもこうして今年も連絡をくれた。


そんな彼女に私ができることが、今ないのだ…


彼女の背負うものが大きすぎて、どうしたら彼女の力になれるのか分からないでいる。


          ✳︎✳︎✳︎


彼女は、兄を亡くして塞ぎ込んでいる私たち家族のもとにクラウンの格好で突然現れた。

そう、こんな格好で。笑


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その時、家族みんなで笑った。

ユーモアの力に私は助けられた。


ちなみにこれは東日本大震災後に

彼女が南相馬市の社協の方と連絡を取りながら

何度かパフォーマンス慰問させていただいた時の写真で

老人ホームにいらっしゃったおばあちゃんと彼女

私のお気に入りの1枚

彼女も気に入ってくれていて嬉しい。


✳︎慰問の様子はこちら✳︎


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彼女は、私にピンチが訪れると助けを求める前から支えてくれるような人

これまで何度も彼女に助けられた。

ある時は絵本を持ってきてくれ

ある時はあったかいご飯をたくさん買ってきてくれ

息子と私を抱きしめてくれた。


数ヶ月前には息子にトーマスのお話が何十話も入った分厚いおやすみ絵本を、

トイストーリーが好きみたいと伝えたら、すぐにトイストーリーのDVDを届けてくれた。


彼女にはまだ伝えられていないけれど、あれから息子はトーマスの絵本を毎晩1話ずつ読んでから寝ることが習慣となって


トイストーリーも初めは緑のエイリアンが怖くて観れなかったのに

いつしか

「むげんのかなたへさぁいくぞー!」

と息子の楽しげな声が部屋中に響いた。


彼女の愛は本物で

私の心も息子の心も温めてくれた。


そうして温まった私の心は、もう揺るがなかった。


その後、私は夫と離婚をした。

もうずっと夫と別居状態で、息子と私の二人暮らしは長らく続いていた。

息子と夫は1年も一緒にいなかった。


そんな状況の中を耐えられたのは、家族以上に彼女の存在が私にとっては大きかった。さらには他にも多くの友人が私を支えてくれた。もう感謝しきれないほど、私は友人に助けてもらった。

家族も大切だけれど、別居中も私は家族に息子を預けることができる環境にあまりなかったし、

彼女はもし私に何かあったら、息子のことを私が…とまで言ってくれた。


そう、彼女は人の心が読めるのだと思う。

そう思うくらい、私が欲しかった言葉をスッとくれる。


それはきっと私だけが感じる感覚ではないのだと思っている。


私たちは何年か会わない時期だってあった。

それでも私のピンチには彼女が現れて助けてくれたのだった。


それなのに、私は彼女に何もできないでいる。

今とってももどかしい。


           ✳︎✳︎✳︎


彼女は名古屋である会社を社長と共に立ち上げた。

あれは大学を出た後だったかな?

パフォーマンスラボという会社で、劇団四季やシルクドソレイユにいた方も所属しているそう


話が前後するけれど、彼女たちが会社を立ち上げる前、彼女にはたくさんの子どもたちのファンがいた。


彼女はみっきーというクラウンなのだけども

公民館での彼女のお別れ会には子どもたちが泣きながらみんなで彼女のことを囲っていたのが印象的だった。


彼女がどれだけ愛されていたのか、その一瞬で分かって私も涙ぐんでしまう程だった。


それから彼女の活躍の場は広がり

会社も大きくなった。


これが彼女の会社で



最近は渡辺直美さんのピンク一色のデリバリーのC Mにも出たよと教えてくれた。

この中に彼女がいる。

教えてもらって分かったけれど、すごい!と何度も観てしまったのはここだけの話…


そして彼女は今では“日本で貴重な女性パフォーマー“さんなのだそう

東の有名テーマパークのショーにも彼女は出ているのだけれど

そのコーディネートをされる方も彼女のことをそんな風に表現していて私も誇らしく思った。


ちなみにその方と私を繋げてくれたのは彼女で、

その出会いによって私はホッと前を向けたのだった。

そんな素敵な出会いも彼女は時々私に用意してくれる。

本当に彼女には感謝ばかりなのだった。


           ✳︎✳︎✳︎


そんな彼女に私ができることが…

やっぱり少ない。

このコロナ禍の中、彼女の背負うものが大きすぎるように思う。

ちなみに彼女は今このショーを手掛けているそうで、是非たくさんの方に観ていただけるといいなと願うばかり


そして子どもたちを魅了しそうなこんなサーカスも前日にはある。


ちなみにこの“お知らせ“のところにいるのが

これまで話してきた彼女ことクラウンみっきー!

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息子と今度こそ行きたいのだ。(両方行きたいな…)



ただこれまでは緊急事態宣言で何度もショーが中止になっている。

彼女から息子とおいでと言ってもらえても、私は県を跨いで彼女たちのショーを観に行くことができないでいた。


彼女はきっと何度もそんな返事を聞いていると思う。

そして彼女は彼女自身のショーのことだけでなく、他の仲間も支える立場にもあるはずだから


その悲しみや悔しさを考えると計り知れない。

実際に彼女のそうした想いも聞いていた。



今、どうしてこんなことをここに書くのか

自問自答してもいる私もいる。

やっぱり無力だなと思ったりもする。

それでも彼女を皆さんに紹介することが、

今の私にできる精一杯で


きっと彼女を知る人で私みたいに、彼女の力になりたい人はたくさんいるんじゃないかとも思う。


彼女が今受け取る多くの言葉は、彼女を傷つけるかもしれない。

でも、そうじゃないよと伝えたい。


彼女からもらった愛を、返したいと思っている人はたくさんいるはずで、


彼女の愛が大きいから、それと同等の愛を…とはなかなか難しくて


それでもこうして彼女のために何かできないか?

考えている人間もここにいて


自分の誕生日より

死んだ兄への想いより

離婚した苦しみより

今、私にとって大事なのは、それでもこうして彼女のことを考え続けているよということで


彼女の心が枯れないでいてほしいと心がら願う訳で


そんなことをここに書いてみてる

それもいいでしょ?と

これを見た彼女が少しでも驚いてくれたらよくて

迷惑だったら…と一瞬過ぎるけれど気にしない。


彼女はいつだって私に確認する前から助けてくれる。

だから私もそうしたい。

あなたのために書いてる。


そんな時があってもいいよねと思う。


直球でお願いする時があってもねと


七夕のお願いにしてもいい。


どうか、彼女のことを知ってくださる方が増えるよう

どうか、彼女の会社や仲間のみんなを応援してくださる方が増えるよう


彼女たちのショーがみなさんにも届いて


たくさんの笑顔で彼女の心も元気いっぱいになりますように


そんな想いで終わりたい。


もう誕生日も終わった。兄なら彼女にどんな言葉をかけるだろう?

夢に出てきて教えてほしい。


どうか彼女もいい夢をね。

そして彼女の明日に笑顔が溢れますように


また明日からは、マイペースな私に戻るかと思うけれど


たまにはこんなのもいいよね、誕生日くらい(と自分に言い聞かせて。笑)


読んでくださった方がいらっしゃったら、本当に感謝します。

どうかみなさんとみなさんの大切な人の明日にも笑顔があふれますように


私も笑顔で過ごす為に、そろそろ本当に寝ます。笑

おやすみなさい🌙


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✳︎兄も同い年 二卵性何で普通の兄弟みたいでした〜✳︎

✳︎この時離婚を決意 彼女が支えてくれました〜餃子と共に🥟✳︎

✳︎ユーモアの力 やっぱりまた彼女から教えてもらいました〜🍕✳︎



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chachi
一緒に生まれた家族の死をきっかけに、人生を楽しんでやりたいことやろうと過ごしてきた私の日常や思い出を、優しさの伝染を心がけて記事にしていきます☺︎今の夢は子どもに絵本を書くことです。あなたから頂いたサポートは優しさにかえて記事にしたり夢を叶える為に使わせていただきます☺︎