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兄の命日を間近に アロマの匂いとともに
もうすぐ、17歳で亡くなった兄の命日がやってきます。
今日はそのことを考えていたので、今感じている兄への感謝とともに、少しだけ書いてみたいと思います🤏
***
兄と私は双子で、一緒に生まれた兄が亡くなって、もう十数年が経つのだけれど、この時期になると色々と思い出します。
双子だったから、
兄は生きていたら何歳か、、とすぐわかるし、
そして私も何歳だったか考えなくてもいいのですよね。
そんな彼は、亡くなる前の1ヶ月半、脳死状態でした。
つまり亡くなる1ヶ月半前に、生きる見込みがないということを宣告され、延命措置はどうするか?というお話がお医者様からあったのです。
あの時、兄の人工呼吸器を外せただろうか?
もう生きる見込みがない兄は、それでも生きてるんだなと当時の私は感じていました。
だって髪や爪は伸びるし、身体も拭くし、歯磨きもしていたから。
***
そして、その時がやってきました。
ピーーーと機械音が一定になり、お医者様から何時何分に、、と告げられるまでのその時間、
どのくらいだったのか、、数分だったのか、数十分だったのか、
時間の感覚は覚えていないけれど、それでもあの時、私にできたことといえば、
兄にありがとうと伝え続けることでした。
何を伝えたいか?と考える間もなく、とにかく最期の最期まで感謝の言葉を必死に伝え続けたことを覚えています。
***
夏休み中に脳死状態となった兄は、それから夏休みが明けても頑張り続けていました。
その最期がいつなのか、わからない状態というのは、いつもどこかで緊迫していたように思います。
学校が始まってからは、もし万が一の時が来たら、両親から学校に連絡がくるようになっていました。
それはいつだろうか?、、そんな中、担任の先生が廊下側からドアごしに私を呼びました。
いよいよか、、
叔母の車に乗り込んで病院へと急ぎました。
あの日は雨が降っていたな。
彼の最期に間に合った私は、
伝えたい言葉は不思議と後悔の言葉ではなくて、感謝の言葉だけでした。
たくさんのことを教えてくれて、優しくしてくれて、
あんなに理解できていなくて冷たい態度をとってしまった私に
「chachiは俺のお嫁さんにしたいくらいだ!」
と亡くなるつい数ヶ月前に、とびっきりの笑顔で私に伝えてくれた兄に、
とにかく感謝を伝えたかったのだと思います。
それ以前の私にはできなかった。兄のように素直に純粋に相手に想いを伝えるということができなかったのですよね。
だから、兄からお嫁さんにしたいくらいだと言われた時も、
え?何言ってるの?と私は少し引いてしまいました。
それでも、兄は少しも嫌な顔をしなかったのですね。
きっとあの時の兄は、色々と聞いてほしいこと、受け止めてほしいことがあったのだと思うけれど、
今思うと、あの時の兄にはそうしたことをうまく吐き出せる場所がなかったのだと思います。
***
兄は統合失調症という病気になったのだけれど、その病気になる直前に喝上げにあっていました。
そして少しお腹を殴られたようでした。
後に交番に届け出た時に、ちゃんと対応してもらえなかったとひどく嘆いていました。
それがコップの水が溢れるきっかけのようになってしまったのかもしれません。
***
私は今日、またこの曲を聴いていました。
あの時に、こうした仲間が兄にいたらな、、
この曲をきっかけに、今日は兄のことを少し思い出していたのでした。
もうすぐ命日だからもあるかな。
今の私ならあの時の兄になんて言えるかな?とこの時期がくると今でもたまにこうして考えます。
あれから、
心残りは心配りに変えてやってきたつもりではいるけれど、
そして兄はきっとあの時の私を責めたりしないだろうし、後悔なんて必要ないと言うのかもしれないけれど、
兄のことがあってから私の見たい未来は確実に変わった訳ですね。
あの時の兄がきっとそうだったと思うけれど、
孤独な状況がそこに少しでも見えたら、微力ながらもここに私もいるよとフワッとでもいいから伝えられる人でいたいなと、そんなことを今でも思います。
それはあの時から見えた、なりたい自分なのだからそのきっかけをくれた兄に感謝しています。
***
大学生になった私は、それから勉強、バイト、そして友人とカフェ巡りをしたりと楽しみながらも、何だか心が晴れ渡らない日々でした。
そんな中で、ホスピスのボランティアをさせてもらった時がありました。
あれは、調べてみたら割と近いところにホスピスのある病院があって、ボランティアを募集していたので、思い切って行ってみたのでした。
研修を何度か受けて、おやつを各部屋にお届けするボランティアをさせてもらったのですね。
一緒にボランティアさせてもらった方々は、70代くらいの3人の女性でした。
みなさんでお話をしながらおやつを作って、部屋に入っていくのですね。
一緒にボランティアされていたみなさんは陽気に、でも話してる内容は結構ディープ、そんな印象でした。
そしてホスピスは、
この前いた方が今日はもういない、、
そうした場所でもありました。
それは分かっていたことだけれど、やっぱり切なくもあり、兄や兄を看取った家族、そして当時の私自身の心境を思い出すことにもなりました。
どんな想いで、看取られたのかな、、
***
そしてホスピスでは延命治療ではなく緩和治療が行われていました。
その中で印象的だったのは、匂いでした。
ホスピスの階のエレベーターの扉が開くと、フワッといい匂い
アロマのお花の匂い
緩和治療の一つとして、アロマセラピーの方が定期的にいらっしゃっていたのですね。
あぁ、アロマオイルもこうした癒しに使われているんだな、、
実は私もアロマには少し興味があって、
今日は久しぶりにアロマストーンにベルガモット、ラベンダー、ティートゥリーの精油を数滴ずつ落として使ってみているのですが、
この配合は、寝る前にいいらしいのです。
前に使っていた、生活の木というメーカーの、スリーピングタイムと箱に書いてあったかな?
とにかく好きな匂いの精油の配合なのです。
リラックスしたい時の配合
一方でリフレッシュしたい時、元気を出したい時なんかは柑橘系を多めに配合するといいと習ったことがあります。
大学でもアロマオイルの授業がそういえばあったな。
そして
あの時のホスピスの匂いはどうだったのかな?
なんて匂いを思い出しながら考えたりしていると、
アロマオイルへ、より興味をもつきっかけは、あのホスピスの体感だなぁと、
あの時の匂いや思い出がこうしてたまに頭によぎっていたことに今更ながら気づきました。
無意識にやっていることって、アウトプットしてみてようやく腑に落ちるんだなぁとnoteを書いている今、感じています。笑
アロマオイルでマッサージをしてもらいながら、ホスピスにいらっしゃった方々はどんな想いだったのかな?
私はおやつを配るだけだったし、緊張もしていてあまりお話できなかったのだけれど、
それでも病棟で飼っていた亀を一緒に見て笑ったり、おやつを配りながら少しご挨拶したりさせてもらったことをこうして思い出しています。
本当に数ヶ月と少しではあったけれど、兄のことを想うと、その先にあのホスピスのみなさんのことをこうして思い出す時があります。
あの頃の私も私なりに
心残りは心配りに
をしたかったのだと思うし、今思うと、少しずつ兄の死を眺められるきっかけが欲しかったのだと思います。
あれから今まで
私は一体どのくらい心配りができてきただろうか?
今の私をみて兄は何て言うかな?
順風満帆と胸を張れるかと言えば少し嘘になるけれど、笑
それでも胸を張って一歩ずつ踏み出せる人生をこれから歩んでいきたいなと
兄の命日を前に
アロマの匂いとともに感じています。
あぁ、アロマいい匂い。
今日はこの匂いとともに寝るとします🌕
さあ、また長いのに、最後までご覧くださりありがとうございました☺️今日は私の思い出話でした🤏
みなさんもどうかよい夢を
今日も一日お疲れ様です🤝🍀
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