#63 今日は寝坊した
本日、寝坊する。
寝覚めも悪い。
目覚ましを止めて二度寝してしまった。
無意識的に私の手はそれを止めてしまったようだ。器用な奴である。その器用さをもっと他に活かせないものか。
結局8時過ぎの朝食。
羽鳥慎一の朝のワイドショーを視る。
レギュラー出演者であるテレ朝社員の玉川は面白い。「そもそも論」によって他のコメンテーターの意見を(良い意味で)台無しにする強かさがとても良い。彼は独身貴族の星と言える。
今日はマイナ保険証の話題。行政の問題と、医療の問題。社会問題というのは、最終的にはカネの問題に行きつく。簡単なことだ。M.エンデなどはそれがとうに解っていたようだ。そして私の部屋に無造作に置かれた文庫版の「エンデの遺言」を思い出す。私はここ数年で積読スキルを向上させ過ぎている気がする。
社会問題を扱う番組を視ていると、この世がつまらない人間ばかりのように思える。
主観の肥大。バイアス強化。
かといって、私だって大して面白い人間ではないのだから、困ったものだ。
しかし、どんなに取るに足らない人間であったとしても、陽気でいたい。
陰気は人は勿論のこと、動植物をも駄目にしてしまうような気がする。奴らは感覚が優れ過ぎているから、なんでも見透かされているように感じる。
それから、社会というものに埋め込まれた人間はつまらないけれども、個々人を見るとそうでもないような気もする。
福沢諭吉も官僚についてそんなことを言っていたと記憶する。学問のすすめだったと思う。私はそれしか知らないから。
福沢が今の慶応大学を見たら何と言うのだろう。私は時折そんなことを思い浮かべる。
今日は頭が重い。頭重感というやつだ。
首と肩の辺りもバキバキである。これも毎度の、定番の組み合わせ。
鼻声も慢性化している。副鼻腔炎でなければいいのだが。病気不安持ちのくせにこれに関しては無頓着だったりする。病気不安にもムラというか癖がある。なにかトラウマと結びついているのだろうか?
頭痛や頭重感のある日は大抵頭がぼーっとしていて、無気力で、かつイライラしている。
ヘロヘロの状態でキレる人。こわい。雑魚だと思っていた生物が俊敏さで以て攻撃してきたら本当におっかない。そんな感じだ。舐めてかからないことは大事だ。実は、これは近年の私の反省点でもある。
今日の私はただのヤバい奴なのではないか、という気がしてくる。
いや、いつもヤバいのかもしれない。意外と自分を高く見積もっていたりして。多分無いと思うのだが。
今日も恐らく寝不足なのだろう。
それから、昨晩はピアノを弾いたりスマホをいじったりと、脳を休ませることが出来なかったと思う。反省。
ちなみにピアノはフォーレのチェロ曲である「エレジー」の伴奏を技術的に弾けるところだけ弾いた。つまみ食い。文句あっかこの野郎。フォーレの曲はどこかしらにフォーレ印が押されていて、そこから刺激を貰う。
クールダウンが出来ていない感覚をたまに感じている。
頭に血が上る、というのもクールダウンができていない状態なのだった。
真にぼーっとする時間が必要なのだろう。
身体も火照りやすいので気をつけたい。
朝食を食べた後、ショックな出来事が起こる。
食べたもの、つまり献立が思い出せない。
記憶喪失。最近、自分の記憶力に不安を覚えるようになっている。
不安というと大袈裟か。自信喪失といったほうが適しているかもしれない。
ただ、元来私は記憶力がよくないものだから、本当に悪化しているのか被害妄想なのかの判別がつきづらい。
だから記録しろというのだ。
それで紙に書く、という手法に辿り着く。
しかし、私も人間だから意志が弱い。
いたずらに思考だけ巡らせて、もやもやしたまま終了、なんてことの方がはっきりいって多い。
私の親は紙に書く習慣がない。
それでだらだら話して、機嫌が悪くなる。そういうプログラムで動いているのだと私は近頃感じるようになった。皆ロボに見えてくる。
機嫌が悪い人と話していると、私も攻撃的な皮肉をかましてしまったりする。私もまたロボなのだ。
私は情動感染しやすい。周囲に左右されやすい。まぁ、日和見グループのうちの一人なのだろうと思う。だから陽気かつ品のある人のそばにいれたら私もそのようになれるような気がする。それは無責任で、楽観的過ぎるだろうか。
それから、思い出したのだが、私は演じることが結構得意というか、好きなのかもしれない。
だから、すぐに他者を取り込んでしまう。それはすぐさま模倣という形で現れる。
などと書いていて、カオナシを思い出す。そういえば、某のジブリ映画はちゃんと見たことがない。あまりにも作品との対峙の仕方が雑であったかを痛感する。単なる不遜な人物なのだ、私は。向き合う能力も根性も無ければ、思いやりも優しさも無い。チャラチャラした態度で物事に接するから退屈な世界になってしまうのだ。こんな者には誰も魅力を感じまい。だから自ずと孤独になるのだ。当然の帰結。自業自得の因果応報。
と、こういった具合に、今日はすぐに陰気になってしまう日のようだ。
それでもめげずに書く。書くことそれ自体に意義がある。
何事もとりあえず記録しておく。
後から見返すと気付くこともある。
今の私では気付けないことが、数年後の私には気付けたりするから、未来の私に向けて書いておく。
追記:最近、音楽を流さずにnoteを書くことが増えた。こちらの方が集中できるから早く書きあがるのだが、音楽の物色ができなくて少し寂しい気もする。迷うところだ。こんな瑣末なことで悩める私は本当に幸せ者なのだと思う。