掃除から見る心中
バースデーイベントも終わりなにかと時間ができた頃にふと掃除したくなって水回りをこまめに掃除し始めた。掃除したらいいことがあると風水にハマっていた母を見てきたからか私も嫌なことがあると断捨離したりこまめに掃除していたつもりだった。
しかしとある日にお風呂を掃除していたら排水溝は毎回ヌメリなどとって清潔にしていたが排水管の中は洗浄タブレットを入れて行っていたらあるときに管が取れかかっていて初めて分解してみた。そもそも取れることすら知らなかったのだ。住んでから10数年、まるでそのすべての厄がこびりついたかのような真っ黒さと汚さに絶望し何度も磨き上げこまめに見るようにした。
そしてトイレ。毎日掃除して壁も拭いていたが水回りということでタンクの中が気になってきた。1年前に磨いてるしキレイだろうと蓋を開けばこれまた真っ黒さと濁ったお水だった。それでまたこまめに清掃。掃除したからってなにかが変わるわけでは無いが厄年だけでなく、家の環境も見える場所だけよくて見えない場所では汚れていたのだ。
そんなきっかけをくれた出来事には感謝している。辛かったし自分を大切にできてもいなかった。依存していたわけではないが寄り添うことの難しさ、自身の力不足なのかと毎回泣いていた。でもやっと自身を取り戻して自己肯定感も上げれてる。占いなどでも私の努力や彼の難しさも見えてきた。だからこそ離れた今私は私を大切にやっとできているし
、離れたからこそ見えてきたものもある。
昨日と今日は一粒万倍日。なにかを始めるのに適している日だ。そこでも私はこまめに掃除をしては水回りや換気がよく回るようにとキレイにした。いつかいい運気が巡ってきたらよいなと信じて。そうでなくても部屋が片付きキレイになることはよい。無駄なものを捨てる断捨離にも適しているこの日に思い切って捨てたり気になる箇所を掃除してみてはいかがだろうか。
風水なんて、霊感なんて、信仰なんて信じない人ももちろんいるかもしれないが私はそのすべての行動に意味があると思うし、縁もあると思うからそんな理由づけで掃除を始めるのもよいのかもしれない。始める理由なんてなんだってよいのだ。何事もやるかやらないか、責任がとれ人に迷惑かけないか。そして自身のプライドを落として相手にどれだけ寄り添えるかなのではないか。
このnoteを今日書いていることにももしかしたら意味もあるかもしれないし縁もなにかのきっかけにもなるかもしれない。私がわたしのやりたいようにこれからも進んでいく。