
大人へ絵本memo ~しらんぷり~
小学生になって初めて習ったこと
それは差別のような気がします。
子どもは学校に行く。
同じ年がいっぱいいるって知るために。
一人じゃないって確認するために。
同じでも違うって事を感じるために。
違いは特徴であり自分の良さであるから。
けれど
違いの良さを教えてもらっていなければ
違いを知らない子どもにとっては
異質の存在
無意識に差別を覚えて
意識的に差別を選ぶ
オバマさんが言っていましたね。
優しさは教育で育てられる。
同じじゃないといじめられる?
まったく同じならロボットじゃん。
ロボットだって個性を発揮する時代になった。
人間は個性尊重すらロボットに抜かれていくのか。
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身近に録音機能が無かった時代。
私は自分の声を知りませんでした。
客観的には。
小学生に上がってすぐに、私はなぜかオトコと言われ始めました。それまでの私は大声で歌ってしゃべって大騒ぎする子だったのですが、男みたいだったようです。いつしか内弁慶になり学校では大人しくなりました。
時は過ぎある日、先生がラジカセなるものを持ってきて朗読を吹き込むみたいな授業を行いました。それは本格的で、一人ずつとなりの空き教室で静かに行います。先生がラジカセの録音ボタンを押すとテープが回り出すのです。家で祖母に教科書を読むのが大好きで家族にも上手だと褒められていた私は喜んで自分の朗読を吹き込みました。
そしてみんなでそれを聴きました。
そこで私は自分の声を聞き驚愕するのです。
何この声・・・
恥ずかしいとかではなくて、本当にビックリしてしまったのです。
耳の中で響く声は、他の子よりも多少かすれているなあとは思っていましたが、実際に聞くと、自分が聞いているよりもすご~く低音で、しゃがれていました。
そうだったんだ。
だからオトコって言われていたんだ。
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五年生になって音楽の授業。マイクを持って歌うテストがありました。その前に練習で歌うことになり一人にマイクが渡されました。その子が歌い終わると先生は「次に誰が歌うかを指名しなさい」と言いました。
数人が歌った後に私が指名されました。人前で歌ったこともないし恥ずかしいけれど断る事なんて出来ない。仕方なく前に出てマイクを持ちました。
マイクも初めて、一人も初めて、先生の伴奏に合わせて音程を合わせるのも始めて。
私はひどい歌声でした。
声が変で歌が下手な私。家では気がつかなかったこと。大きな声で歌っていた自分。親は何も言ったことがなかったな。
でも学校では笑われた。
みんながどーっと笑い、先生をちらっと見ると先生も笑っていました。
私はまったく素晴らしい音痴だったのです。
その授業は次の週もあり
面白がった友達は
次にも私を指名しました。
え?
先週あんなに私が下手だってわかって
みんな散々笑ったのに
もう一度歌わせるの?
小さないじめだよ・・・
恥ずかしくて悲しくて、それでも歌いました。
もう一度爆笑の渦でした。
誰の顔も見られずに席に戻り、机に突っ伏して泣きました。授業が終わっても涙は止まらずに立ち上がることの出来ない私に誰も近寄ってきませんでした。先生も。。
休み時間が終わり、次の授業が始まるチャイムが鳴って、始めて立ち上がり1人で教室に戻りました。
その後もからかわれたかというと、そうではありません。あまりにも酷かったのか、同情されたのか、誰も触れてこなかった。そういう感じ。
一瞬の集団心理。面白かったのでしょう。40年近く経った今でも私がいじめという言葉で思い出すのはあの出来事です。
悲しい思いを味わったから、人に優しくするの?
自分も体験したから差別はしないと誓えるの?
一人が一回ずつ体験しなきゃいけなかったら・・・
世の中はいじめだらけだね。
必要な体験てなんだろう。
経験があるからいじめをしないのだろうか?
自分はあの時に笑われていなくても
人を笑いものにしないで生きてきたと
信じたい。
それからの私は声がコンプレックスになりました。人が聞いたときに不快にならないしゃべり方や声の高さを出すように心がけるようになりました。今ではマイクを持っても声を出せます。歌えませんが(笑)
可愛い女の子の声に散々憧れましたが、手に入れられる物ではないので自分なりにはあの頃よりは上手に喋るようになったほうだと思っています。
自分との違いを差別にしないと教わっていれば
防げることがあるかもしれない。
『しらんぷり』
梅田 俊作(著)梅田 佳子 (著・画)
1997年 ポプラ社
ほんの些細なことから始まったいじめ。それを見て見ぬふりするぼく。まわりの大人達や他の友達はどうであるかが描かれている。勇気は出さなければいけない時にお願いだ自分。と思う。
『わたしのいもうと 』(新編・絵本平和のために)
松谷 みよ子 (著) 味戸 ケイコ (画)
1987年 偕成社
読み聞かせをしている人がいつかは辿り着く本だと思います。誤解を恐れずに言うと、男性で読む人はまだまだ少ないのではないかと思います。女性男性に関わらず、認知が少ないと社会にはびこるいじめにも気がつかなくなるので、一度でいいので読んで欲しいです。そして幼い時からの差別への向き合い方が大切だと感じて欲しい。同じような出来事でこの世を去る人がいる限り、本棚に並び続ける。大変な想いで出版されたことがわかる本。心の持ちようを確認するために大人がまず読んで欲しい。
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自分が受けた体験を書いておいて矛盾しているかと思いますが
そういう私も、多分に人を傷つけて生きてきました。
若いときの自分を振り返ると、笑われた悲しみよりも、傷つけて悲しい思いをさせてしまった友人に謝りたい気持ちの方が強いです。
機嫌が悪いと八つ当たりしたり人を見下したこともあったでしょう。
特に大好きな子に執拗に甘えて嫌なことをした記憶があります。
もし他の子が加担してきたら、自分がエスカレートしていたら
いじめになっていたかもしれません。
身近な友達が調子に乗りそうな私をなだめてくれたり、悪口には取り合わなかったり、親が人のことを悪く言わなかったり、、いろんな人のおかげで、とどまっていられた出来事があると思います。
そして誰からも
いじめたらいじめ返せと教わらなかった。
今になると思う。
私は止めてもらう事が出来た。
後々後悔するような出来事をしなくてすんだのは自分のおかげではない。
まわりのおかげだ。
他の人が知らんぷりをしないで接してくれたおかげで
私はやさしくいられる。
長文読んで下さりありがとうございます🙇
※半年前から下書きされていた文章を載せました。紹介しなければいけないと思っていた絵本です。子どもだけではなく大人の世界にもいじめがあるからです。
頭の中にどうしてもこのエピソードが出てきてしまうのであの時は親にも言えなかったことを書いてみました。けれど今では子ども達と盛大に好きな歌を口ずさんでいますのでご心配なく(*^_^*)
歌がうまい下手の話しになったときに娘に聞いてもらったことがあるのですが「ママかわいそうだったねえ😭」と言ってくれました。それですっかり昇華(消化)されました☺
私は楽しく歌えば上手くても下手でもいいじゃないと言い、娘は誰のどんな歌声でも受け入れようと思ってくれたみたいです。