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『宇宙からの帰還』 立花隆

「地球は青かった」というガガーリンの言葉は、人類で初めて宇宙から地球を見た宇宙飛行士の言葉という文脈を背にして、壮大で深淵に響く。
しかしその言葉だけ冷静に見れば、実は詩情もなにもない実際的な響きだ。
なるほど、マーキュリー、アポロ、ソユーズなど、1960年代から始まった宇宙飛行の計画では、宇宙飛行士に抜擢される大部分は軍人だったという。軍人かつ技術系インテリである宇宙飛行士は、人文系の文化とは縁遠い。宇宙飛行の比類ない体験を言葉にしようにも、テクニカルな報告はできてもその内的体験について語る表現力は不足していたようだ。

しかし上のガガーリンの言葉が「まんま」の表現ではあっても、その青い地球の美しさはたとえようもないものであると、宇宙飛行士達は口を揃えるという。
「宇宙体験をすると、前と同じ人間ではありえない」とは、宇宙飛行士シュワイカートの言葉だ。
そんな、宇宙体験の内的インパクトとは一体どのようなものなのか。宇宙体験は人間の意識をどう変えるのか。
1985年初版の本書は、アメリカ各地で元宇宙飛行士たちに取材して書かれた非常に緻密で興味深いレポートである。


宇宙に出た体験が実際に宇宙飛行士たちをどのように変えたのか。著者は取材した個々の事例を、鋭いインタビューと分析と共に紹介していく。

まず面白いのが、帰還後宗教家に転身した例がいくつかあることだ。
その一人は、ジョン・アーウィンである。
空軍出身のアーウィンはもともと熱心なプロテスタントではあったが、月面で神の存在を感じるという神秘体験に遭い、地球に戻ってからは伝道師として精力的な活動を行うようになった。
彼の場合、もともと宗教的な傾向の強いタイプだったというのは、宇宙飛行士になる前の私生活のエピソードや周囲の仲間達の発言からも窺えるが、ともあれ宇宙体験が彼を本格的に覚醒させたと言うことはできそうだ。

結局、宇宙飛行士たちは、それぞれに独特の体験をしたから、独特の精神的インパクトを受けた。共通していえることは、すべての人がより広い視野のもとに世界を見るようになり、新しいヴィジョンを獲得したということだ。

一方では、宇宙からの帰還後、政界やビジネス界で活躍をした例もある。
実のところNASAをやめた宇宙飛行士のほとんどが実業家になっているようだ。
宇宙飛行士になるような突出した人達は、そのエネルギーも常人とは違うのだろう。

アポロ13号の乗組員ジョン・スワイガートは、共和党員として政界入りしている(下院議員として就任直前に死去している)。
反リベラルの意見を持つ彼に、著者は突っ込んだ質問をする。宇宙から地球を見たほとんどの宇宙飛行士が、国家間の対立抗争のすべてがバカげて見えるといっているが、あなたは今の(1981年取材当時の)米ソ対立についてどう考えるか、という質問だ。
「全くその通りだ。国家間の対立抗争などというものは、実にバカげたつまらぬことだ。」と答えつつ、スワイガートは以下のように語っている。

しかし、地球に帰れば帰ったで、そこに米ソ対立と言う冷厳な事実があることもまた動かしがたい事実だ。問題はソ連の側にある。ソ連が世界征服の野望を捨てない限り、米ソ対立は終わらない。そして、この状況の中で、軍事的バランス・オブ・パワーを保っていく事は絶対に必要だ。

地球に戻れば人間は人間であるということか。

一方、その経験から平和活動に身を置くようになる宇宙飛行士も多かった。
投資が趣味のドン・アイズリは、NASAを辞めた後、投資銀行の幹部に落ち着く前は平和部隊に身を投じていたという。
眼下に地球を見る体験をすると、領土やイデオロギーのための争いは声をたてて笑い出したくなるほどバカげたことに見えるというアイズリは、民族国家の時代はいずれ終わるだろうと大らかな予言をする。
しかし彼がNASAを去った原因となった女性関係の、仲間の宇宙飛行士たちを巻き込んだいきさつを読むと、地球に戻ればやはり人間は人間なのだと思えて面白い。

科学者として宇宙に飛んだエド・ギブスンは、宇宙体験を経て独特の宗教的境地に至ったと言う。
宇宙船で90分で地球を一回りすると、「いまキリストが生まれたところを通り過ぎたと思ったら、すぐにブッダが生まれた所に差し掛かっている」というスピードで地球が回転していくという。すると、国家間の抗争と同じくらい宗教間の対立もバカらしく見えるというのだ。
科学に対する彼の見方も、一部だけ引用するが、とても興味深い。

科学にできることは、さまざまの事象がいかにして生起するか説明することだけだ。そして説明というのは、実はあるレベルの無知を別のレベルの無知に置きかえることでしかない。

科学では答えられないものがあるところに宗教の存立の余地があると彼は言うが、彼の言う宗教とは既成宗教の教義ではなく、一種の不可知論であるという。

なぜかはわからぬが、この我々の宇宙はとてつもなくよきものである。そういうものとして我々の目の前にある。それでよいではないか。そこから出発しようというのが、私の基本的な立場だ。

ここに挙げた宇宙飛行士の他にも、地球に戻ってからの世俗的成功を経た末に伝道の道に入ったチャーリー・デューク、非凡な能力と成功にも関わらず、地球帰還後にうつ病を発症し、精神病院に入るに至ったバズ・オルドリンなど、宇宙飛行士たちの数々の数奇な運命がこの一冊に詰まっている。
そこにあるのは、人の個性、人間のオリジナリティを集めて眺める面白さだ。
同じものを見ながら、同じものに触れながら、人がそれぞれそれをどのように語るのか、それをどのように解釈するのかという違いがとても面白い。

一方でまた、それぞれの言葉で語りながら、彼らが共通して意味するものもそこには見えてくる。
著者及びインタビューを受けた数人の宇宙飛行士が、宇宙から地球を見ることを「神の眼」を持つと表現しているが、地球を一つのトータルなものとして見た経験がある人間だけが持ちうる共通の認識があるのだろう。

アポロ13の船長ジム・ラベルは、「地球を離れてみないと、我々が地球で持っているものが何であるのか、本当のところはよくわからないものだ」という言葉を残している。
彼らが口々に描いている宇宙進出時代への展望は、当時はまだ一般人にとっては半分夢物語だったが、現在ではすでに現実である。
宇宙から地球を見るという経験ができるチャンスのハードルは今後もっと下がっていくのだろうが、さて、そうなった我々人間の世界は、どう変わっていくのだろうか。

以下の抜粋は、クールな宇宙飛行士ジーン・サーナンが、宇宙船が地球軌道を離れて月に向かう時の眺めについて語った言葉だ。

その眺めは格別だ。人間がこれまで見たことがない見方で地球を見ることができる。地球を離れるに従って、大陸や大洋が一目で見渡せるようになり、やがて、地球の球体としての輪郭が見えてくる。世界が一目で見える。全人類が私の視野の中に入ってしまう。目の前の青と白の球体の上で、世界で起きているすべてのことが現に今起きているのだと思うとなんとも感動的だ。しかも地球の上で時間が流れていく様が目で見える。夜明けの地域と日没の地域が同時に見え、地球が回転し、時間が流れていく様を観察することができる。・・・そして、地球から離れるに従って、地球は、ますます美しくなる。その色がなんともいえず美しい。あの美しさは生涯にわたって忘れることができない。

なにはともあれそんな光景を、一度でいいから実際に目にしてみたいものである。


アポロ13号の勇気と奇跡の帰還劇や、アポロ14号の謎トラブル連続の月着陸、そして「宇宙ホタル」の発見や宇宙飛行とESP能力の関係の謎など、あれこれのトリビアも、時に息を詰めて読ませる緊張感を持って、時に微笑を誘うユーモラスな調子で語られ、知的刺激も満載の本書。おすすめの名著だ。

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