鏡の中のBTSーBTSに写る自分を愛する
多趣味だった私が、あるとき仕事等のストレスから鬱になり、それまで楽しめていた趣味が、何一つできなくなったということがあった。
そのとき、唯一できたことが、YoutubeでBTSの動画を見ることだった。
以前、マガジン「ケアの時代」で「BTS―ケアしあう男性集団」というコラムを書いた。
ここでは彼らが、男性コミュニティならではの競争心よりも、お互いをケアしあう関係性を重視していることを書いた。
その関係性を見て、私自身も彼らにケアされていた。
痛みを知っているからこその言葉や表現、メンバーどうしの仲の良さなどが、見る人の心を癒すのは、世界中のARMY(BTSファン)のよく知るところだ。
しかし、なぜこんなにも、世界中の人々の心を捉えて離さないのだろう。
なぜ、こんなにBTSに惹かれるのだろう。
その理由を見つけるために、いろいろな雑誌やnoteにあるBTSの記事を読んだ。
多くの記事には、ダンス、歌、楽曲のクオリティなどから始まり、ビジュアル、メンバーどうしの仲の良さや、数々の努力などなど、どれも共感しかない理由が並んでいた。
ほかにも、
・Love yourself(自分自身を愛する)という自己肯定的で普遍性のあるメッセージ性
・人種差別への問題提起
・メンバー自身も曲作りができること
・謙虚さ、素直さなどを含めたその人格
・芸人さながらのバラエティ番組での面白さ
など、枚挙に暇がない。
なぜBTSに惹かれるのか、なんとなくはわかっているけれど、その理由を言語化するのは意外と難しいものだ。
だからこそ、どの記事も、「よくぞ言語化してくれた!」と思うものばかりなのだが、読んでいるうちに気づいたことがあった。
それは、記事を書いている人自身の価値観が、「好きな理由」に反映されているということだ。
執筆者自身が大事にしている価値観が、必ずそこには反映されている。
例えば、ダンスをやる人はダンスの素晴らしさを褒める。
歌が好きな人は歌を、普段から見た目に気をつけているひとならそのビジュアルを、努力を常に重視している人は彼らの日々の努力について言及する。
武術をやっている人なら、「あれだけダンスで緩急がつけられるなら、彼らに武術をやらせても強いに違いない」と思うだろう。
(実際、BTSにはテコンドーや剣道やボクシングをやっているメンバーもいる。)
武術をまったく知らないARMYだったら、「そんな見方もあるんだ?!でもそうかも知れない、納得。」と頷いてしまうはずだ。
大まかに、BTSが好きな理由はみなだいたい共通しているが、感じ方は少しずつ違う。
したがって、その好きな理由をきけば、その人が、人生で何を大切に生きているのかが見えてくる。
彼らの努力を強調するARMYは、普段からとても努力をしている人なんだろうな、と思う。
私の場合は、ダンスの美しさと歌のうまさと、ビジュアルから彼らにハマった。
自分自身、ダンスを習っていたこともあるし、歌はプロを目指していた時期もあった。
自分自身の見た目にも、なるべく気を遣っている方だ。
BTSは自分の価値観の鏡であり、それこそがまさに彼らのアイドル(偶像)性なのだ。
英語のidolはもともと「偶像」という意味だ。
もちろん、それだけ多くの人の鏡となり、偶像となれるほどに、多くの長所を持っているということでもあるのだが。
ビートルズはかつて「僕らはキリストよりポピュラーだ」と発言し物議を醸したことがあったが、いまやBTSも同様だろう。
BTSはまさにポップアイコンであるが、「アイコン」とはもともとキリストや聖人を描いたイコン(宗教画)のことを指す。
ちなみに、作曲までできる彼らが、いわゆる「アイドル」なのか、それともアーティストなのかという議論も実際にあったが、彼ら自身はなんでもよいといっている。
彼らがどんなカテゴライズをされようが、彼らは彼らなのだ。
でも、「好き」に理由って必要?
上記のようにBTSの長所を列挙してみたが、そもそも「好き」に理由がいるのだろうか、という疑問もある。
「好き」という感覚が先にあり、それを他人に説明したり、自分を納得させるために、理由を並べ立てているだけなのではないのか。
私たちは言葉が未発達だった子供の頃、「好き」や「楽しい」に、理由などわざわざつけなかったはずだ。
また、いくら長所を並べても好きになれないものはなれない、ということもある。
このように、「好き」に理由などないのに、説明を迫られるという経験は誰しもあるのではなかろうか。
例えば、恋人から好きな理由を聞かれたとき。
恋人を好きな理由なんて、探せばいくらでも出てくるが、本質はそこにあるわけではなくて、短所も含めて存在まるごとが好きなので、「全部好き」と答えるしかない。
それに対して相手は、少し不満げに「そういうことじゃなくて」と、まんざらでもない反応をするアレだ。
言語化された「理由」以前に「好き」という、言葉にしがたい感覚がある、それが本質なのだと思う。
感覚が先にあって、「理由」を探して後付けをする。
ひとは大人になるにつれ、誰かに説明して納得してもらわなければならないことが増えていく。
そのために、「好き」に理由をつけなければいけなくなる。
これを繰り返していくうちに、自分自身にもいちいち説明しなければ、「好き」がわからなくなっていく。
あるいは、それは学校の勉強のせいかも知れない。
小学校から高校までの勉強には、必ず答えがある。
正答をいかに導き出すかが、重要視される。
ところが、大学では、答えを出すことが難しい問題も出てくる。
だからこそ、大学や大学院では「勉強」ではなく、「研究」と呼ぶのだが、むしろ、「答え」よりも「問い」を見つけることが重要視されるといわれている。
なぜなら、現実の世界は、答えのない問いはどんどん増えていくからだ。
学校を卒業して社会人になれば、決められた正答を導き出すことなど、ほとんどなくなる。
誰かの見つけた答えが必ずしも正解ではなく、自分自身で自分なりの答えに辿り着かなければいけなくなる。
そんなとき、実は言語化された理屈よりも感覚的なもののほうが、意外と近道だったりするのではないだろうか。
そうして見つけた答えに、なかなか自信が持てないということもあるだろうが、その答えを信じてあげることが、「Love yourself(myself)」ということなのではないだろうか。
BTSを好きな理由はたくさんある。
でもBTSを好きな理由は必要ない。
理由などなくてもBTSを好きな自分を信じているから。
2018年のLove yourselfツアーの最終日にリーダーのRMが語った「ぜひ僕を利用してください。ぜひBTSを使ってください。あなた自身を愛するために。」という言葉は、こういうことなのではないかと私は解釈している。
つまり、BTSを好きになるということは、そこに無意識に写した自分自身を愛するという行為なのではなかろうか。
自分自身に嫌いなところがある、大切な人から愛されなかった経験がある、日々の生活に追われ自分を顧みる時間もない、本当はもっと自分を愛してあげたい、そうした思いを抱えた世界中の人々が、鏡に写った自分自身をBTSに重ね合わせて彼らを愛するという構造が、彼らの人気の秘密の一つなのではないだろうか。
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