見出し画像

自分の意見を通したいのではなくて、ただ納得したいのです。

A案、B案があるとき、法的にできないことでないなら、どっちを選んでも正解で、どっちを選ぶかは権限がある人の判断になるから、自分としてはどっちでもいいし、決まったことに従うけど、納得してやりたいと思う。

A案でいくことに決まって、でも、自分としては、B案のほうがよくない?と思うことがあるわけで、でも、上の人が決めたならそれに従うし、A案でいいけど、なぜA案になったのか、なぜB案だとダメなのか、ちゃんと分かっていたい。

文句があるわけでも、決定を覆して自分の意見を通したいわけでもない。そんなことできる立場じゃないって分かってる。ただ、納得できないのが嫌だ。
モヤモヤしながら、本当にこれでいいのかと思いながら進めるのは、嫌だ。

でも、なぜその案が選ばれたのか、理由を聞いても、説明を有耶無耶にされることもあるし、論点をずらされて問いに答えてもらえないこともある。そもそも聞ける内容じゃないこと、教えてもらえない内容のこともあるし。納得できない時がある。

組織の末端である自分が納得できるかどうかは、事業にとっては、どうでもいいこと。納得いく回答が得られないのも仕方ない。分かってる。でも、やっぱり納得して進めたい。

納得できない仕事に関わるのは嫌だ。だから、自分なりに答えを見つける。その答えが合っているかどうかは分からないけど、合っているかどうかではなくて、自分なりに納得できる答えに辿り着けたらそれでいい。

だから、インプットしたいというよりは、「自分で考えて、自分でその理由を導き出せる」ようになりたい。その前提として、インプットがあるのだけど。

自分で考えて、自分で答えを出せるようになりたい。
なぜその結論に至ったのか、納得できる答えを、自分で導き出せるようになりたい。