過去に何度もnoteを毎日書いてみよう!と思った その理由は下記であった。 ・文章力をつけるため ・考えたことを忘れないようにするため ・自分の意見を誰かに知ってもらうため ・新しい習慣を取り入れる経験をしたいため メラメラと萌えていた ただ、結果は 三日坊主だった (むしろ3日も続かないw) そこからわかった私の特徴 毎日書くは、燃えない (ただのタスクになる、プレッシャーになる) 感じたことを確実に文字に起こす、残しておくは萌える (自分の感
お見舞いの語源って? この言葉をよくみると「見舞う(動詞)」の名詞形である。 丁寧語の「お」をつけて相手への敬意を示している。 「見舞う」という言葉は本来「訪問する」ということ。 古語では「見まわる」「巡視する」という意味の言葉として使われていた 「見る」には「人に会う」という意味もあり 「舞う」には「まわる」「めぐる」という意味もある 「お見舞い」という文化は 災難をうけたり病気にかかった相手に会うために足を運ぶことだったという説があるそうです。(諸説あり) 現
看護師として働き始めたばかりの頃に記載したNoteが残っていました。 なんともまあ、エモいこと。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 春から京都のとある病院で看護師をしています。 「看護師さん、いつもありがとう」とっても嬉しい一言だけど なんだか違和感。 感謝されて違和感を感じるのはなんでだろう? 看護師のイメージになりきって、自分らしさもなく業務に追われている時に言われた一言でした きっと「患者さんのため」を思ってではなく「仕事だから」 行ったことに対し感謝されたから
皆さんは「褒める」という言葉に対してどのようなイメージを持っていますか? 自分を褒める行為は好きです。 ただ、誰かを褒めることは好きではないです。 どうしてかと言うと自分の価値観を押し付けてしまうことになるから。 褒めるという行為は事実に対し、評価した結果に過ぎない 誰かにじぶんを評価されるのってとても息苦しいです。 これは誰かにとって良いと思われるか、悪いと思われるかと考えるよりも 自分が正しいと思う、没頭できることをやっていきたい。 よくある上司が部下を褒
コロナウイルスによって世の中のありとあらゆるものが大きく変わって半年以上がたつ。 「大切な人だからこそ、今は会うのをやめよう」こんな決断をする日が来るとは考えてもいなかった。 「会いたい人には会いに行く、いつ永遠に会えなくなるか分からないのだから」が私の当たり前だった。 「ふわり、良い事があったんだよ!報告したくてさ。」という電話一本で、「それは直接聞きたいからそっち行くね!」と東京から長野の友人に会いに行ったこともありました。w なぜこう考えるようになったのか ど
最初からヘビーな内容かもしれない。が、私を構成する大事な要素なので一番最初に書きたいと思った内容だった。矛盾しているようだが、一番表現方法に困っている内容かもしれない。 この話を人にできるようにになったのは、最近でここ1年くらいでようやく自分のなかに閉じ込めていた存在を見せられるようになってきた気がする。ちょっと辛いけれど、その人のことを振り返ってみようと思う。 最後のさよならをしたのは、おおよそ23年年前 私が今一番会いたい人、それは父である。 父は私が1歳2ヶ月の
当たり前、日常、「普通さ・・・」 こんな言葉を使ってしまいがちだけど 生きているという「当たり前」にも少しめを向けて 自分自信を、生き方を問いてみてもいいのだろうか 生きる理由を考えた時、 命は輝きを増すのではないか 社会にどう貢献したか どこまで出世したか どれだけ売り上げをあげたか お客さんが喜んでくれた そんな他社の評価を知るのも大切だけど それをするのは「あなた」であり、「あなた自身」がどうありたいか 「あなた」を大切におもっている人がどうあってほし
「初期から終末期まで一貫して診ることができるから脳神経外科の医師になろうと思った」 そう、話す医師がいた 脳に腫瘍ができるということは稀で 治療もとても難しいため治療できる病院や医師は少ない そのため他の病院に患者が流れること無く 見つかってすぐの段階から 亡くなる間際まで同じ病院で治療するからだろうか 看護師にも同じことが言える この一年間で患者さんといろんな瞬間を共有することができた 病気かもしれないという恐怖と戦いながら検査する時期 病気と判明してこ
大学生四年生のとき、約半年くらい知人の紹介で幼稚園(延長保育の時間帯のみ)のバイトをしていました。 バイトの内容はあそぶこと!!ただただあそぶこと!!そりゃあ幼稚園児の仕事はあそぶことですもんねえ☺️ ちなみに真面目な話をするとなぜ「あそび」が必要なのかはこのサイトをみると分かりやすいかも💡 年齢別発達課題とは https://www.google.co.jp/amp/s/woman.excite.co.jp/article/child/amp_KodomoManabiLa
皆さんはNodding syndrome(頷き病気)という病気のことを聞いたことがありますか? ○発症するのは子供だけ ○ウガンダ、スーダンの限られた地域で発症 ○一度発症すると食べ物を見ると頷き始めてしまい飲食ができなくなる ○肉体的、神経的に成長がストップする ○最終的には衰弱し、亡くなってしまう。焚き火の近くで頷き発作がおこり焼死してしまったり、川辺で発作がおこり溺れてしまう子たちもいる。 ○不思議なことに見たことない食べ物だったら最初の一口は食べられるらし
ジブンルーツ⑤までは私の土台を作ってくれた大切な経験と家族の紹介でした🌻 ここからはそこで強く感じた社会への疑問と私が大切にしていきたい“価値観”をお伝えできたらなあと思います❣️ まずは父の死について。 初めは何故私の父にが死ななければならなかったのか憤りや疑問、悲しさを感じていました。 少しずつ大人になってくるにつれて、「自分が悲しい」ということだけでなく「父はどのような気持ちで亡くなっていったのか」「どんな最期だったのか」「母はどんな気持ちで父の死を見送ったのか」
5〜6歳になって転機があった 私にお父さんができた!! 友人の紹介で出会ったとしか聞いていないけど、もっと大人になったら詳細は教えてくれるみたい🙊 お母さんにお父さんのことを初めて紹介されたとき 「私のお父さんになって!いい?お母さん!」ってはしゃいでくっついて離れなかったらしい 私がなついたこともあり、わたし達はすぐに家族になった 母と二人暮らしのアパートから引っ越しをする意味はわからなくて暴れて泣いたけど 迎えてくれた父の実家は祖父、祖母と犬が三匹いてとても
こう書いて行くと、わたしの母親はどんな人なんだ? と気になる人もいるでしょう… スーパーヒーローであり、世界一尊敬しています❣️ わたしの母親は看護師で、わたしを育てるために懸命に働いてくれました お家に帰るとどんなに疲れていても「今日何があったの?」と話を聞いてくれ 休みの日は公園に出かけたり、パンを作ったり (お母さんとパンを作る時間が楽しくて、お母さんの笑顔が好きで将来はパン屋さんになろうと思っていたくらいでした笑) 日常生活の中でもちょっとした工夫でたの
みんなは「お父さん」がいるのにわたしはいない みんなはすぐにお母さんが迎えにかるのに私は来ない みんなはキラキラのシールをたくさん買ってもらってるのに私は貰えない 周囲と比較し、自分が劣っていることを実感して何でだろうって落胆してた 今思えば些細な事でも当時の自分にとっては大きい事で劣っている点を見つけては、バレないようにするので必死でした 幼いながら周りの目をきにしすぎていました
「お母さん早く迎えに来ないかな。」 私の一番古い記憶 保育園に通っていた4歳くらいかな 保育園に行くといつも一番乗りで、帰るのも一番最後。 友達をお出迎えして、見送る毎日。寂しかったの覚えてる。 「私もお父さん欲しい!」 この頃の私の口癖 そう。私には「父親」の記憶がない。 私が1歳2ヶ月のときに亡くなった「らしい。」 未だにしっかり向き合えていなくて詳細はしらない。
私にはたくさんの夢がある 看護師になる/幸せな家庭を作る/世界中旅行する/沢山の人に出会う 病気になる人が減る世の中を作る/病気でも幸せに生活できる環境を作るetc... こうなりたいって思う自分像から、世界をこう変えたい!っていう人生をかけていいかなと思う願望まで 「世界を」かえるのは難しい(そりゃ当たり前だ 笑) 自分の周りの小さなモヤモヤから 解決できるようなシステムづくりをはじめてみようかなと思っています 一人じゃ難しいから 一緒に伴走する同志、仲間が欲