どんな願いも叶うなら、今一番会いたい人は誰なのか?
最初からヘビーな内容かもしれない。が、私を構成する大事な要素なので一番最初に書きたいと思った内容だった。矛盾しているようだが、一番表現方法に困っている内容かもしれない。
この話を人にできるようにになったのは、最近でここ1年くらいでようやく自分のなかに閉じ込めていた存在を見せられるようになってきた気がする。ちょっと辛いけれど、その人のことを振り返ってみようと思う。
最後のさよならをしたのは、おおよそ23年年前
私が今一番会いたい人、それは父である。
父は私が1歳2ヶ月の時に白血病によりこの世を去った。
当たり前なのだが、どれだけ自分の記憶を遡っても父はいない。物心がついた時には、母と二人の生活をしていた。
私が知っている父の情報は
・とても優しい人だったということ
・笑顔がとても素敵な人だったということ
・薬剤師さんだったということ
以上である、
すくな!と思ったあなた。正解。w
私は父のことをほとんど知らない。
だからこそ会いたいと思うのだろう。
どんな音楽が好き?好きな食べ物は?お母さんのどこが好き?なんて会話をしたら共通点が見つかるんだろうかとか考えたり。
また、
・どんな気持ちで診断を受けて、闘病をしていたのか
・最期を迎える時、父は何を想っていたのか
生きてきた歴史も知りたいのだが、亡くなっていく過程も知りたいと思う。この辺りを知る事ができれば、幾分か私自身の気持ちが楽になるのではないかとも思う。
なぜなら、
「私が居なかったら、私がうまれなかったら、父はもっと長く生きていたかもしれない。父はそれを望んでいたかもしれない」
と考えてしまうときがあるから
これは私の完全な妄想(被害妄想)チックな考え方というのは理解をしているのだが、何とも辛いものがある。
父を知りたいと思う気持ちと、恨まれていたらどうしようという気持ちが
戦った結果、父について知ることを避けてしまい、結果として父のことを何も知らない私が出来上がってしまった。
自分自身が向き合わないといけないと思う気持ちと同時に、
私のような状況の人を作りたくないと思う気持ちがとても強くある。(ここが、私が看護師を目指した理由と大きく関わってきます。)
いつか、母と父の話をしながらお酒を飲めるような日が来るといいなと思う。
父から教わったことは、
・人はいつ死ぬかわからないということ
・どんなに生きたいと強く願っても叶わないこともあるという現実
・生きている間に自分が生きてきた証と、感謝を残しておくことの重要性
・患者さんだけでなく、闘病中の家族も悲しみを背負っており、この辺りの気持ちの整理をつけながら共に闘病していく必要性
でした。肝に命じて生きていく。