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3分名句紹介エッセー 蠅

 田舎に移住して気が付いたことがある。それは「都会に比べて虫のサイズが一回りでかい」ということだ。

 蟻もでかい。蛾もでかい。蜘蛛なんて引くぐらい巨大だ。大人の広げた手のサイズぐらい普通にある。

 引っ越してきた当初は驚きもしたし、とても後悔をした。こんな気味の悪いやつらと終生を共にしなければならないと思うと気が滅入った。元来昆虫類は苦手な部類である。むしろどちらかと言えば生理的に嫌いな部類だ。幼少の頃より進んで虫に触ることはなかったし、触る時は「虫が嫌い」という弱みを人に見せたくなくて、しぶしぶといった感じだった。そんな小生が晴耕雨読的な田舎暮らしに憧れていたというのだから、頭が悪い。憧れが先行して昆虫のことなど考えもしなかった。

 故に家の周りは、防虫剤だらけな訳なのだが、しかし、田舎のタフな虫にはそんなもの関係はなかった。馴染の隣人の如く普通に家の中に侵入してくる。いろいろ試したが、どれも大差はなく効かない。そして、ついにもう「どうでもいいという境地」に至ってしまい、奴らと遭遇しても「窓開けておくから、出ていきな」的な感じで、穏やかな気持ちでことに当たるようになった。小生、人間的に少し心が広くなった。

 しかし、やはり。蠅だけは駄目である。

 蠅は、この世で二番目に嫌いな生物である(一番は蝉。その話はいずれ)。あの極端に目がでかい顔のバランスが気に入らない。人を嘲るような飛び方が気に入らない。無遠慮に食事に群がる習性が気に入らない。とにかく全てが気に入らないのである。

 まあ、蠅が好きなんて人は皆無と言っていいほどだろう。蠅は古今より人類の共通の敵の一つと認識されてきた。

やれ打つな蠅が手をすり足をする 小林一茶

 俳諧味溢れる名句を数多く残した小林一茶の蠅の捉え方はさすがである。懇願するが如く手足をこする様をうまく描写して、人間に情けの心を喚起させる。どのみち、この蠅は一茶の手にかかったのであろうが。

 街に出て蠅わしづかむ農歌人 秋元不死男

 善人性やヒューマニズム的な俳句を多く残し「最後の俳諧師」と称された秋元不死男の句も、上記一茶の句に通じるものがある。なんとも滑稽で愛すべき句ではないか。ここでもやはり蠅は死すべき運命にある。

 小生の感想になるが、紹介した2句のように、蠅という夏の季語を用いた名句の8割は、「蠅を殺した」か、「殺そうとしている」場面を詠んでいる。そう考えると少し蠅が少し気の毒に思えてくる。彼らに何ら罪はない。害虫とはいえ、人間はもうすこし慈愛の心を持って、彼らに接してもいいのかもしれない。

 こんな文章を書いているディスプレイに蠅が寄ってきた。筆をここでおく。そして前言は撤回する。これより必殺の仕事に取り掛かることとする。

 蠅といふ字に蠅の来る日暮れかな 亀山こうき

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