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3分名句紹介エッセー ドイツ人と口論した話

 もう10年近く前の話である。

 その年の秋、小生は欧州をひと月程、一人旅していた。いわゆるバックパッカーと言うやつだ。現地の移動は鈍行電車だけ。一日に使えるのは全て込々で数十ユーロという、悲劇的で、しかしとても楽しい旅だった。

 今回の話はそんな旅の、ベルリンの安宿で起こった事件についてである。ベルリンの、二段ベットが二つ置いてあるだけの小部屋に泊まることになった小生に、入室まもなく、「日本人?」と聞いてくる男がいた。

 そこにはハリーポッターを水でふやかしたような男が立っていた。移動で疲れていた小生はあまりかかわらないでといった風に「そうだ」と、ぶっきらぼうに答えた。しかし男は気にも留めず、「ヤスチローオツを知っているか」と聞いてきた。小生はバックパックの整理する手を止めた。男が何を言ったのか分からなかった。「何?」と聞き返しても、同じ言葉が返ってくる。ヤスチローオツってなんだ?

 小生が返答に窮していると、男はタブレットで、「東京物語」と日本語で書かれたのポスターを見せてきた。小生は思わず手をたたいた。男が言っていたのは、映画監督の小津安二郎であった。小生はうなずきながら「もちろん知っている」と答えた「何が好きなんだ」と男は言う。「知ってはいるが、見たことがない」と小生は告げる。

 小生の言を聞くと男は露骨に大きなため息をついてきた。「なんで?君、日本人だろう?」と言われた。それは明らかに軽蔑を含んだ言い方だった。流石にカチンときた。確かに小生は小津安二郎の作品を見たことがなかったが、それをもって非難されるのは心外だった。それに疲れていた。英語嫌いで英検5級ですら避けて通る小生ではあったが、「君は、ベッケンバウアーの試合をちゃんと見たことがあるのか」みたいなことを皮肉を込めて全力で言った。

 しばらくの間、部屋に不穏な空気が漂った。しかし、こんな険悪な中で一晩過ごし合うというのも気が引けたので、話題を変えようと「でも、黒澤明なら、何本か見た」と言った。すると、男は「黒澤も大好きだ。俺は日本の映画が好きなんだ」と、えらく嬉しそうにまくしたててきた。話を聴けば男、ベルリンの大学で映画の勉強をしている、小生と同じ年のドイツ人であった。話してみれば意外といい奴だった――

 なんで今更こんな昔のことを書いたかと言うと、先日こんな本を手に入れたからである。

 この本を読んでいて、先の旅の帰国後すぐに鑑賞して号泣した「東京物語」を思い出した。ひと月の放浪で日本らしさに飢えていた小生は、小津安二郎の代表作を見て、なんて静かで、なんて日本的なんだろうと感動したものだった。

口づけをうつつに知るや春の雨 小津安二郎 
未だ生きてゐる目に菜の花の眩しさ 小津安二郎
紅白の菓子美しや春の雪 小津安二郎

 小津の句もやはり、静かだ。とても静かで、原色の美しい光景が広がる。

 もちろん、静かな句ばかりではないし、映画をすべて見たわけではないので、偉そうなことを言えた義理はないのだが、この「静けさ」がきっと小津の核にあるものなんだと思う。あまりカメラワークをせず、定点的な映像が多い小津安二郎の映画は、映像技術が発達して、派手な演出が多くなってきた映像作品に慣れた小生らにとっては、一週回って斬新に思えることだろう。

 ここ最近、同世代の俳人の俳句に触れる機会が多くなり、その斬新なレトリックや着眼点の鋭さを前に、なんて自分の俳句の矮小な事と卑屈になっていた。

 背伸びして、現代俳句的な試みをしてきた小生だが、小津の俳句や作品を思い出したら、なんか一週回って、古臭い句でもいいかもと思えた次第である。結局やりたいように、自然に詠むのが一番なんだろう。

 そんなわけでここ最近であった悲しい事件をそのまま詠んでみる。

ついでにと誘われている花火かな 亀山こうき 

 悲しい。

 

 

 



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