ここを人生の最低とします!
ネガティブは後からゲトれない
「落ちるところまで落ちたからあとは登っていくだけだ」という台詞を聞くたびぽうっとする。すごいなぁと思う。絶望に底などないと思っている私には真似できない。
いや、特段人より不幸ってわけではないのだ。辛いこともあるけれど私はすくすく生きていますスタイルで日々を過ごしている。ただ同時に、絶望に最低地点は存在しないとも思っている。
おそらく生まれつきネガティブ度合いが比較的高い(母親も母方の祖父母もネガティブだ)のと、色々な視点から物事を眺めるのが好きなので、ポジティブ脳だけだと物足りないというか、あまり楽しくないのだ。
それで、誰かの絶望ストーリーと、後は登っていくだけだ的な発言を聞くといつも思う。もっと酷いことはいくらでも起こるし、絶望に底はないと。感覚的には、意地悪でそう思うのではなく、事実として知っているに近い。
少し脱線すると、「後は這い上がるだけだ」族にはちょっとした傾向があると思う。彼らは生まれつきというより、突発的に何かの不幸に見舞われた割合が多い気がする。ある日突然に何かを奪われたとかそのような。
反対に「後は這い上がるだけだを言いにくい」族は、生まれつきだったり、徐々にゆっくり時間をかけて何かをなくし続けている(もしくは存在しなくなった)人が多い気がする。しんどい今が慢性的に続いている人のような気がしてならない。あくまで主観だけれど。
でもどっちにしろ、「落ちるところまで落ちたからあとは登っていくだけだ」という発言を出来る人はすごいと手放しに思う。多分彼らだって本気で「ここが絶望の底」だとは思っていないのだ。でも、「ここを人生の最低とします!」とひとまずそういうことにして、高らかに宣言して、実行する姿勢はぐっとくるし清冽さにぽうっとする。
これから先、自分では到底受け入れられない、致命的で決定的な何かが起きた時、はたして私は「後は這い上がっていくだけだ」が言えるだろうか。多分言えない。宣言してしまうと、あとは前にしか進めないのだ。
性格的に、そこまで高らかな宣言をして突き進むと、逆にポキっと折れそうだ。前と後ろを行ったり来たりしながらちょぴっとずつ進むのが資質に合っている。
でもひっそりと、ここを人生の最低としますという気持ちを持つくらいなら、なんとか出来るかもしれない。
ーー私は特段人より不幸というわけではなく、そもそも相対的に考えていないからか、辛いこともあるけどすくすく生きている。過去を振り返って、誰かが客観的に見たらあそこが人生のどん底だったと判断されるのだろうなという事件はあっても、なんだかんだ私は過去を含めた毎日をそこそこ気に入っているのだ。
ネガティブは後からゲトれないけれど、自分を肯定する気持ちはいくらでもごくごく飲める。
そんなことを考えながら、カフェの窓辺でぼうっとしている私の横顔に、だれかきゅんとしてくれないだろうか。
(ここを人生の最低とします)と、心の中から声は聞こえないが、窓から見える公園で過ごす人々は幸せそうだった。あの中にはきっと、清洌な宣言をした人たちもいるのだろう。みなに幸あれ。
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