もし「浮気」の名前が「バルビドブブベ」だったなら。
マンガは一コマで朝を迎えるが、現実の夜は長過ぎる。明けない夜はないと知りつつ、明けるまでの時間が永遠なのだよと思ってしまう。そういうしんどい夜は余計なことばかり考える。ヘミングウェイが何かの小説で「夜だからといって昼と違うことを考える必要はないのだ」と言ったけれど、必要はなくても浮かぶのが夜なのだ。
今日考えていたのは「名前で損してるものってけっこうあるよね」だった。
たとえば夏場の家々に出没する例の黒い嫌われ者の名前がもし「ぷぴぱ」だったら、彼らは今よりもうちょっと人権をもらえていたんじゃないだろうか。牛豚鳥のブタさんの名前が「ぴょいこ」だったらちょっとかわいい。実際に英語の「ピッグ」のほうがブタより愛着が湧くし、何なら脳内に浮かぶイメージもピッグはぴんくい小さな生き物だ。
反対ももちろんある。たとえば某パピコがもし「ゴルディドドブッバブ」だったらなんとなく近寄りがたいし、これほど色々なアーティストの曲の歌詞やマンガのシーンに使われていないと思う。人間だって同じだ。「殿方 勇気」くんという人がもし「殿方 気苦労」くんという名前だったら、彼の人生は随分と違うものになっていただろう。
名前は対象の印象にかなりの影響力を持っている。ある言語学者は使用言語が思考パターンに影響を与えるという仮説を立てていたし、真偽はともかく、これは何か良きことに応用できるのではないか。人が犯してしまう、でもとても良くないことの名前を受け入れにくい名称に変更すれば、ほんのちょぴっとだけでも減るのかもしれない。ちょっと「浮気」でやってみよう。
さっきのパピコ→ゴルディドドブッバブみたく、受け入れにくい言葉は濁音の傾向が強い気がする。パピプペポのような「半濁音」< あいうえおのような「清音」< バビブベボのような「濁音」の順で、響きが固くなる。これを使おう。
清音の「浮気」は「下郎手段」もしくは「バルビドブブべ」にすれば良いのではないか。浮気よりもバルビドブブべの方が少し抵抗感がありそうだ。
ーー「それって、私に喧嘩を売ってるの?」と、あまりに眠れなすぎて電話をかけて話をしていた女の子が冷えた声で言った。しまった、間違えた。
「それは私が前に浮気したのは『バルビドブブべ』って名前ではなかったからってこと? 私がバルビドブブべしたのは名称が「浮気」だったからってこと?」
しまった、本当に間違えた。というか浮気していたのだね? それは知らなかったけどどっちにしても全部私が悪い。思ったことを何も考えずに話してしまって、女の子を傷つけてしまった。私はときおり思ったことをすぐ口に出して間違えてしまう。女の子がなおも怒気を含んだ声で淡々と話す。
「好きでバルビドブブべしたわけじゃないの。彼が先にバルビドブブべと勘違いさせる行動を取ったのよ。だからって私がバルビドブブべしてもいい理由にはならいし、下郎手段していい理由にはならないのはわかってるけど、好きでしたわけじゃない」
「本当にごめんなさい」と、私は深々と謝った。本当にごめんと思った。
私のこの、思ったことをすぐ口に出してしまうことにも名前を付けたほうが良いのかもしれない。例えば「下郎下卑論法」とか。そしたら何かを言う前に「下郎下卑論法になってないかなぁ」と気をつける気がする。
ーーヘミングウェイがある小説で「夜だからといって、昼と違うことを考える必要はないのだ」と言った。本当に、夜だからといって昼と違うことを考えなければ良かったと反省した。ごめんね。
そうして、女の子に説教されながら、何故か急にその小説の名前を思い出した。あぁあの本のタイトルは『日はまた昇る』だった。
外はまだ暗い。朝日よ、早く昇ってくれ。そう思いながら、私は女の子に謝り続けた。朝日はまだ昇らない。“モテる男への道はまだ長い”。これは名前を変えたところで、すぐには変わらないのかもなぁ。みなに幸あれ。