子育ての悩み。子どもは親とは別の人間とわかってはいるものの…
思い返せばまだDINKSだった頃…
そろそろ赤ちゃんがほしいなあ、と夫と私が思う時頭の中に思い浮かべるのは「赤ちゃん」だった。
おっぱいを飲んでおむつをかえてもらいすやすや寝る赤ちゃん。
しかし、子どもが赤ちゃんでいる期間は短い。
1年もすれば立つし、やがて歩いて、話し始める。
そして時が流れて小学生にもなれば、一人称が「おれ」になって少年へと変遷していく。(うちは男の子ふたり)
思えば、自分が小学校低学年の頃の記憶は、量は少ないものの濃い密度で残っている。そこから私が今の私になるまではあっという間で、親と一つ屋根の下で過ごす高校生までの期間のほとんどを親に反抗して過ごしていた。
その頃苦労をかけた両親。彼らの疲れた様子を思い出し、げんなりしてしまう。
ということは、我が家にいる小学生の上の子は少々幼いが時期に私のように「おれ」を見つけて親からの分離をゆるやかに、そして、やがて激しく渇望するようになり巣立っていくということだ。
まだかわいいところもありながら、すでに多くの点で息子が手強い相手だと恐れている。
彼の最も理解に苦しむ特徴は、宿題を後回しにすることである。
「宿題やりなよー」が最近の私の口癖になってしまった。私は親に勉強しろなどと言われるのが屈辱だったし、宿題は何より先にやっつけて身軽になりたかった。
できる限り先延ばしにして好きなタイミングで急かされてもマイペースに宿題をする姿にため息しか出ない。
宿題の優先順位だけでなく、物事に対する姿勢もまるで異なっている。私は負けず嫌いで「なにくそ」という精神が強かったのだが、彼はあるがままの自分を受け入れていて、悔しいとか、やってやる!という気構えがないようだ。
代わりに、やることは淡々と飄々としているように見える。クールだ。そこは、むしろつい泥臭くなってしまう私には羨ましいと思うところ。
彼はかつて夢中なことにはどっぷり浸かっていてその他のことは眼中になくなってしまうような子だったし、そんな姿が好きだった。
最近はほどよくいろんなことをしていて、少しさみしいような、けれど、親も知らないところで心惹かれる何かに出会うのかと頼もしくも思う。
来る反抗期、どんな矢が飛んでくるのかと思うと怖い。何せ、考えていることが違う人間。
それに、自分と全然思考回路が違う人間に自分の価値観を押し付けずに、本人の力を発揮してもらえるようにサポートできるのだろうか?と不安にもなる。
赤ちゃんがほしいと漠然と考えていた頃には、こんな悩みに苛まれる日が来るとは思わなかった。
赤ちゃんを迎える喜びはこうした気苦労の始まりだったのである。
下の子の性格は上のことはまた全く違うので、あと数年したらまた似たような「どうしよう」と思う波にさらされることになると思うともう居た堪れない。
夫とため息をついたり一緒に白目をむいたりする日々。
でも、良いことと悪いことは裏合わせとよく言ったものだ。自分の嫌いなところを引き継いでいなくてよかった…と胸を撫で下ろすこともまあまあある。
悩み多き育児の道。
だからこそ、そのときどきの悩みを将来「あの時は大変だったけどがんばったなあ」と思い返せるように過ごせたら、と思う。