無神論者だが神社に通う理由
皆さんこんにちは、しまさです。
今回は私の趣味(?)でもあるお詣りをテーマに話したいと思います。
皆さんはお詣りはしますか?
毎日する人、全くしない人、初詣が詣納めになってる人、色々いると思います。
私は特に決めている訳ではないですが、毎月しています。
近所に熱田神宮という草薙の剣が祀られている神社があるので、ご利益もありそうだし通わせてもらっています。
そんな私ですが、神様はいないと思っています。
というよりも、いてもいなくてもどっちでもいい派です。
(もし気分を害された方がいたらすみません)
2礼2拍手1礼のような作法は大事にしてますが、お賽銭時は何もお願いことはせず、ただ手を合わせています。
それでは何のため神社に通っているのか?となると思うので、その理由を3つ説明していこうと思います。
神社に通う理由
当たり前の再認識
タイトルにも書きましたが私は無神論者です。
そのため、お賽銭時は何もお願い事はしません。
ただ、手を合わせています。
つまり、私にとってのお詣りとは何の見返りも求めない行為になります。
見返りを求めないにもかかわらず大事にしている。
だからこそ、普段から他者への感謝を忘れなかったり、日常の小さなことに幸せを感じれる。そんな気がするのです。
そして平和主義な私はそんな自分でありたいことが、神社に通う1つの理由になっています。
パワースポット
これには共感してくれる人も多いのではないでしょうか?
多くの神社は自然に囲まれていますし、御神木からパワーを感じる人も多いでしょう。
また、私の感想としては、多くの人に大事にされている場所にはパワーが集まっている気がします。
特に神社は多くの人の祈りが集まりますし、鳥居を通る際にも礼をする参拝者を見るとすごく大事にされている場所だと感じます。
神社を悪く言う人っていなさそうですよね。
なんだか罰が当たりそうですし。
そんな自然のある大事にされている神社は、私にとってはパワースポットなのです。
何となくいいことした気分になれる
神社に行くとなんかいいことした気分になるんですよね。
見返りを求めずお賽銭をしているからなのか、周りにお詣りが習慣になっている人が少ないからなのか。何故かはわかりませんが。
特に早起きして早朝にお詣りしたときは、すごく得した気分にもなれます。
技術が発展した現代では正直なところ神社は実用的な場所ではないと思います。しかし、人々の気持ちのあり方にとっては必要で大事な存在なのかもしれませんね。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
3つとも気持ちや考え方といった、抽象的で目に見えないものが理由になっています。案外そういう人の方が多いのですかね。
以上が無神論者のしまさが神社に通う理由になります。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
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