「Enough=もうたくさんだ」、という気持ちをシェアしよう
国際社会からはっきり見えるところで、コンゴ民主共和国の人々は20年以上にわたり、屈辱を受け、乱暴され、残酷に虐殺され続けてきた。私はみなさんに求めたい。このノーベル平和賞をコンゴ国民に贈るだけでなく、立ち上がって、大きな声をあげてほしい。”暴力はたくさんだ、もうたくさんだ。今こそ平和を!”と。
12月10日にノルウェー・オスロで行われたノーベル平和賞授賞式で、受賞者の婦人科医、デニ・ムクウェゲ氏が、上記のように、スピーチで呼びかけた。イラクのナディア・ムラードさんとともに、今年の平和賞は、女性に対する暴力と闘ってきた2人に与えられた。
「たくさんだ」(Enough)という言葉を聞いて思い出したのは、イスラエルの元首相、イツハク・ラビン氏が1993年、米ワシントンのホワイトハウスで述べた次の一節だ。
今、私は声を大にして、明確に言いたい。流血や涙はたくさんだ。たくさんだ。復讐したいとは思わない。
当時のビル・クリントン米大統領の仲介のもとで、パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長との間で、和平プロセスの合意を達成した時のスピーチだ。実際にはヘブライ語によるもので、私がイスラエル紙に掲載された英訳をもとに、日本語に訳したもの。
半世紀にわたるイスラエル・パレスチナ紛争に終止符を打ちたい、というラビン氏の気持ちは、軍人としてアラブ諸国やパレスチナ武装組織と戦ってきたラビン氏だからこそ強かったのだろう。まさに心の叫びだった。だが、その後のなりゆきを知っている我々は、そうした気持ちがどこまで現実を変えられるのかについて、疑問と諦観の境地に入らざるを得ない。
ラビン氏は、この和平合意の2年後、和平反対派の青年により、イスラエル・テルアビブの広場で銃撃され、暗殺される(広場は「ラビン広場」と呼ばれるようになった)。その後、イスラエルには和平反対路線の政権が出現し、和平プロセスは停滞、その後の紆余曲折を経て、和平は完全に死に体となっていることに異論をはさむ人はいない。
たった一発の銃声が、歴史を変えた例は、このラビン暗殺だけではないことは、誰もが知っている。平和とは、あまりにもろく、はかない。
授賞式の演壇での、ムクウェゲ氏の「みんなも、『たくさんだ!』と叫んでくれ!」という呼びかけに、世界はどう応えるだろう。特に紛争当事者や、影響力を行使できる周辺の国々の政治家、国際機関、日本を含めた各国政府は、実際にアクションをとるだろうか。
世界195か国の国々の指導者の良心が、(ISに拉致された)女性たちを救出する方に、気持ちが動かされないとは、思いもよりませんでした。
もう一人の平和賞受賞者のナディア・ムラードさんは、そんな皮肉っぽい言い方で、世界の政治家が、女性が被る暴力に対して、アクションを起こさなかった、と批判した。
ナディアさん自身、ISがイラク北西部シンジャール地方に攻め込んだ2014年8月、IS戦闘員に拉致され、性奴隷にさせられた。ISをはじめとした一部のイスラム教組織が異端視するヤジーディと呼ばれる宗教的少数派だったため、そうした迫害を受けることななったのだ。同様に拉致されて奴隷にさせられたヤジーディの女性は6000人以上と言われている。拘束から逃れて九死に一生を得た後は、ISの残虐を国際社会に訴える「人権活動家」として活動していた。
ヤジーディをはじめとした、すべて世界中の弱者の集団を保護することは、国際社会の責務です。
ナディアさんは受賞スピーチで訴えた。孤軍奮闘するように、無数の暴力と直面してきた受賞者2人。「もうたくさんだ。終わりにしよう」という願いは、どこまで届くだろうか。だが、過去の失敗例ばかりを振り返って、悲観的になるのはやめにしたい。それぞれが、それぞれの立場で、自分ができることから始めてていくしかないからだ。あらゆるものが分断されていくような時代、世界が共有できる何かが、このノーベル平和賞を機械に育っていくことを願わずにいられない。