『春の雪』三島由紀夫 著
店主おすすめの一冊と、個人的に気に入っているツボをご紹介。
今回は、三島由紀夫の『春の雪』(豊饒の海・第一巻)です。
全4巻からなる『豊饒の海』(『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』)は三島由紀夫の遺作であり、こうして取り上げるのも畏れ多い大作ですが、勇気を出してご紹介いたします。
全巻を通して、一人の人物が早世を繰り返しながら別の人間に生まれ変わっていく様を、もう一人の人物の目を通して語られていくという「転生」をテーマにした長編小説『豊饒の海』。
『春の雪』はその第一巻として、若く美しい侯爵家の学生(清顕)が、同じく若く美しい由緒ある家系の女性(聡子)と禁じられた恋に落ち、その刹那的で繊細で悲劇的な結末へと向かっていくストーリーです。
わたしのツボは、なんといってもすべてが「美しい」ところ。
「美」は三島作品の特徴でもありますが、4部作の中でもこの『春の雪』はとくに美しさが際立っています。
美しいものを見事に美しく描き、さらには人の心の醜さ、傲慢さ、愚かさ、辛辣な皮肉まで、これでもかというほどに美しい言葉と比喩の嵐で綴られていて、「美」を見つめるということは、同時に「醜さ」をも見つめることなのだと思えてくるのです。
あまりにすべてが美しく描き出されるために、いったい何が「美」で「醜」なのか、そして何が「悪」なのかもわからなくなります。
唯一、聡子だけが一貫して芯の強い凛とした「美」として描かれているところが救いであり、憧れでもあります。
それに対して、他の登場人物、とくに聡子の侍女である蓼科の描写には容赦がありません。
聡子の声については「甘くて張りのある声音」と表現しておいて、蓼科については「葱の白い根を思わせる声音」と書く三島由紀夫。
「葱の白い根」って。
ちなみに聡子も蓼科も『春の雪』以外の別の巻にも再登場するのですが、他にも特徴的な2名の女性が同様に2巻にわたって登場しており、この4名の女性陣を思い描きながら、三島由紀夫の女性観についても思いを馳せてしまいます。
また、清顕の自己中心的で自己防衛的な想像力も、鋭くバッサリと描かれます。
己を守るための想像力が豊かな人はドキリとするであろうこの一文。
歪んでねじくれた心の動きまでも、恐ろしく美しく鋭く描く三島由紀夫の凄さ。
惹かれる表現に付箋を貼る作業をしたところ、本が付箋だらけになってしまいました。
細やかに、壮麗で絢爛に修飾される様々な情景は、幾重にも華美な言葉で重ねられていながらも、なんの抵抗もなく読み進めてしまい、そして実際に見ているかのようにありありと目に浮かびます。
どんなに有名な文豪の作品でも、どうしてもすんなり頭に入ってこない苦手な文章もありますが、三島由紀夫の文章はわたしにはとても読みやすく、そして心地よく酔わされます。
思えば初めて三島由紀夫に興味を持ったのは、高校時代でした。
自決した後の彼の首が掲載された古い週刊誌を見て、大変衝撃を受けました。と同時に、それがきっかけで彼の作品を読むようになりました。
短編も戯曲もいいけれど、やはり自決直前に最終巻『天人五衰』が出稿された『豊饒の海』、それも第一巻の『春の雪』をまずおすすめしたいです。
なぜならこの4部作は巻を経るにつれて、登場人物の老いとともに物語全体が暗く重くなっていくからです。
とはいえ、わたしが付けた付箋の数は物語が進む毎に増えていき、最終巻『天人五衰』が最多でした。
20代前半に初めて読んで心打たれた『豊饒の海』。
今回再読して、若い頃にはわからなかったこと、感じなかったこと、忘れていたことがあまりに多く、それだけに十分楽しめました。
秋は三島由紀夫という偉大な作家が、センセーショナルに旅立った季節。
長い長い夜に、端正で緻密に計算され尽くした、時を超えて広がる美しくも儚い、「夢」と「転生」の世界に浸ってみるのはいかがでしょうか。