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自分のやりたい気持ちでやりますかね! - 相手の目を気にしすぎて創れなくなったから。

突然質問しまーす。

恋してます?みなさん。

唐突にこいつ何言っているんだ?と思われそうなんですけど、聞いてみたかっただけです。

理由は、短歌教室の先生の一言なんですよね。

今、短歌教室に通っています。某新聞社主催のスクールなんですけど、月に1回、周りは70、80代の人生の先輩方に囲まれながら、歌を詠んでいます。

なんで短歌?とか思われるでしょうけれど、「言葉に彩が欲しくなってしまいました」と突然去年の秋に思い立って、検索したら、今の先生のクラスがヒット。何もわからないまま申し込んでしまったわけです。

短歌、古文がきでない自分(中二で諦め、受験科目から外した)にとっては万葉集や新古今和歌集なんてとうの昔に脳内から消し去っている分野です。

歌人も、句も知らない、57577の音で詠むだけと言うルールしかわからない。

でも、申し込みました。

そう。思い返せばこの1年半くらい、ものすごく「簡潔にまとめてロジカルに伝わりやすい営業資料」ばかり作っていたんですね。

ものすごい数を書いたと思います。

「伝わりやすく」。ばかりを意識して。

ここがネックになっていた。

「伝わりやすい」は「簡潔」と思い込んでいたのです。

そしたらびっくりです。イメージができなくなってしまいました。

想像力というか、目の前のタスクに追い込まれるあまり、例えばその企画を手にする街の人々の姿や気持ちだったり、自分がそれを楽しんでいるか?だったり。

さらにさらに、デザインを考えることができなくなってしまった。

これはものすごくまずいぞ。ということで、何か彩られるものはないか・・・という気持ちから選んだのが短歌を作ってみよう。だったんです。

やり方なんてわかりませんよ。そりゃあ。何も知らない。なので、正直に理由を話して、真っ白な気持ちで参加しました。

先生、粋でした。言ってくれたんですよね。

受講の意図もお聞きしました。しっかりしておられるのでうれしく読ませていただきました。作歌は初めてとのことですが、それが何よりです。誰でもはじめはそうですし、まっさらな心は吸収が早く、しかも素直に歌が作れるからです。短歌の律は日本人の言葉のリズムにマッチしていますから、普通に語れば5と7の形になります。また、短歌は思いを説明するより、思いを様々な具体に預けて伝えるものですから、増田様が求めておられる願望にマッチするように思います。どんなことでも遠慮なく、臆することなく質問してください。

と。

これは安心して背中を預けられるのではないか・・・そう思いながら教室に向かいました。

僕以外は皆さんかなり年上で、本気で取り組んでいました。

正直、この時点では僕は座っていれば何か得られると思っていた。最初の課題の2首も、「感情に任せてみよう」と思いながら、10分くらいで作ったものを送りました。

理由?単純にできなかったからです。

「教室に通うんだから、きちんとできていて、先生やクラスメイトに褒められたい」という令和二年にあまりよくない承認欲求を僕は満たそうとしてしまっていた。

だって、考えてみてごらんよ自分。

できないから通っているのではないか。なのですよ。ここで大きく見せようとしていたら通う意味がないのですよ。

実際の教室は、皆さんが詠んできた句から「それぞれが何を想像できたか」を話し合いながら、先生が「あくまで先生の視点での技術的なまとめ方」を教えてくれる。

感性については何も言われないんです。

短歌のルールを知らない自分にとっては、感性の赴くままに詠んでいます。

最初に作ったものがこれ。

スピーカー 溝から流れる サクソフォン。眠れぬ夜を 包むやすらぎ。

意図:眠れない夜にジャズのレコードを聴くことが多く、そこで音に包まれる気持ちです。ベランダに座りながら眠りにつくまでぼーっとしています。

1.2.3. 刻むカウントリズムの音。夢を鳴らさる 未来の始まり

初めてのバンド活動を想像しています。バンドは夢への始まりで仲間と初めて音を合わせる瞬間のワクワク感を意識しています。ただ、純粋に「安らぎたい」「期待に胸を膨らませながら先を見据えたい」をジャズのレコードとバンドを始める期待感に込めてみただけです。

短歌のルール的には、修正点はたくさんあるみたいで、何パターンかのフィードバックをもらいました。

でも、言ってくれたんですよね。

「増田さん、直さないでいいよ。技術的にはテクニックはいくらでもある。でも、<溝から流れるサックス>でジャズを表現したり、<カウントリズムの音>から未来を想像すると描ける感性だけは捨てないで、だから、そのまま続けてくれ!」と。

嬉しかった。

昔、美術の授業で、僕の作品がコンクールに学校から出展されることになった時、新作を作ることになったんですよ。

僕は空の色を気持ちを表す色としていわゆる当たり前の水色以外で塗りつぶしたことがある。その時、美術の先生は「空は水色と相場が決まってる」と古典落語に出てくる江戸っ子のように指摘して、

「これ、僕が感じている色と違うんだけどな」と思いながら言われるままに直したんですよね。

その違和感をずっと感じていたから、きっと、DJをしていても「誰かの期待に応えるために我慢した流れを作る」とかしてしまったり、冒頭の企画書のように「お前、本当に楽しんでいるか?」というものを作り続けてしまう癖が体に残ってしまっていたのかもしれないのです。

表現するって「やりたいから。伝えたいから」やるものです。その中でたまたま出会ってくれたものがご縁があった人と出会い、「自分の中のもの」から「相手の気持ちの中にあるもの」に変わることもあると思うんです。

感情メインからしか作ることのできない自分。ここを取り戻させてくれたのが先生と教室の仲間たちでした。

冒頭の恋の話?

「更年期障害はねぇ、恋をするのが一番の薬!」と先生がぽろっと言いました。

みんな「創っている」からまぁ元気で若くてエネルギーに満ち溢れているんですよね。

わかりやすい140文字の大喜利大会にちょっと疲れている自分にとっては、この時間がかけがいのないものになっています。

短歌ですか?まだまだ課題の2首を詠むだけでも絞り出している段階です。

でもよかったな。「そもそも自分の気持ちから目にしたものを表現していく」という「なぜやるのか?」という最も当たり前の感情を取り戻させてくれたから。

ちなみに恋愛については・・・していないなー。異性にというよりはサブカルチャーに今でも恋している。

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下北沢のスズナリで、「泣かないで毒きのこちゃん」の演劇を見て、珉亭でラーちゃんを食べて、

「なかないで、毒きのこちゃん」。最高なんですよ。話の構成センスも素晴らしんですけど、「創っている人たちがもはや超主観的」に楽しんでる。相手のこと考えている!?と少し感じてしまいつつも、まずは「自分の世界を全力で出し切りながら、作品として仕上げている」ところがいっつもすごいなーと。感じるんです。「楽しんでいない人は伝えることさえできないから」と。今回もネタバレはまだ避けなければならないので(まだ13日夜見れるよ!)割愛しますけど、嫉妬した。こんなの作りたいよ!!!!!!!

Twitterチェックすると、当日券について知ることができますよ!

新宿の末廣亭で柳家小三治師匠の一席を堪能して、なぜかディスクユニオンで中古レコード、Phoenixの12インチを買って帰る。

結局のところ、前に言われた「そもそも恋愛する気がない人に相手も恋愛感情は抱かないから!」と女友達に言われた一言のまま、僕は今を生きている。

仕事もそんなこと綺麗事だと思われるかもしれないけれど、その気持ちだけは捨てたくない。自分にはもう嘘はつきたくない。

あとは、noteを書くでも同じなんですけど、自分の気持ちを大切に。

そんな時代が20年代なんだとも思います。

まー、カルチャーには恋愛感情を抱けているだけでいいかな!?なんて思いつつ、「出てこい!花嫁!」とか勝手な気持ちを抱きながら、お後がよろしいようで。

またそのうち。


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増田ダイスケ
新しいzine作るか、旅行行きます。