#エッセイ
フィルモア通信 New York Seiji&Huberts going going gone.
セイジ、ニューヨークタイムス、ぼくらの手
セイジさんは日本の大企業から在米駐在としてニューヨークにやってきた。そして何年か後アメリカ永住権を取得して会社を辞め、四十歳を前にして料理の道に入った。当時アメリカでは最高峰の料理学校、ニューヨークアップステートにあるCULINALY INSTITUTE OF AMERICA 通称CIAは授業料も高く基本的に全寮制なので除隊補助でもないと自力でやるしか
フィルモア通信 New York No 25 カレン・ヒューバート、ジャクリーン・ケネディ・オナシス夫人の赤いスーツ。
カレンは文才があり、自分のレストランのマダムとして昼夜ダイニングルームを取り仕切りながら自分の本の執筆にも忙しかった。ぼくが早めのランチシフトでキッチンに入る頃に、犬のラルフと彼女は散歩から帰って来た。
ラルフがいつも決まった所で立ち止まりくんくんやって用を足すのが彼のニュースペーパーを読むことなのだとカレンは教えてくれた。
そうか、ニュースペーパーだったのかとぼくはかねがねニューヨークの
フィルモア通信 New York No16 五十年の鰻、十六歳の天ぷら
五十年の鰻、十六歳の天ぷら
ソーホーのミキオさんのその店は昔、映画ゴッドファーザーの原作者、マリオ・プーゾが彼の著作を書いていたこともあるという静かな下町のイタリアンカフェを日本料理屋に改装した、オーナーのミキオさんの美的センスが座布団やメニューブックの造りに顕れている、地元ソーホーのギャラリーオーナーやアーティストそしてミュージアムのキューレーターたちが通ってくる小さな日本レストランだった。