フィルモア通信 New York No6 アメリカの夜
ベトナム戦争時の外交補佐官だったドクター・ヘンリー・キッシンジャー氏のパーティーがあったのは、とても冷える冬の夜だった。
そのパーティーのために作ったラムのローストミント風味、胡瓜と海老のシェリーサラダ、ブルーチーズのスフレなどを次々とダイニングルームへ送り出し、オーブンやスチーマーはうんうん、シューシューと働き、
背の高いシャンパングラスが音をたててキッチンに運び込まれたりするなか、オーナーがやって来て、「キッシンジャー氏のスピーチが始まるからおまえは手を止めてダイニングルームに来るように。」と告げた。
真新しいシェフコートに着替えてレディスとジェントルマンの片隅に博士のスピーチを待った。ちょっと甲高いようなしわがれたような、なまりのきつい英語で話し出したのは小太りした背の低い男だった。
スピーチのなかでアメリカ、アメリカと単語を二回聞き取ると、オーナーに今夜はもう帰りたいとことわって、雪の積もった夜の街へ出た。
路上を照らす月の光のように自分の心もぼんやりしていた。おれはいったい毎日毎日何をしているのだろう、良い料理のためと言ってまいにち腕を磨いているつもりだったけれど、その良い料理を誰に食べてもらうのか、誰も彼もが不幸に見えた。
心は愛でいっぱいなのにおたがいにどうしても理解できない父と子、母と娘。他を憎むことで自身を支えているかのように見える政治活動家。才能が有ると信じたり信じなかったりして途方にくれる芸術家。
愛情で満たされているとは思えない子どもたちは幼い頃から両親の離婚を恐れている。自分がやりたいことを見つけられず、仕事もなくて、ただおたがいを見つめ合うばかりの若い恋人たち。
ブラジルから来た美しいブロンドの少女とは英語学校で知り合った。ジャーナリストをめざす彼女はダイナーでウェイトレスをしながら大学で勉強しようとお金を貯めていた。ある夜勤め先のマネージャーに言い寄られ、断るとその日までの給料とともに店の外に叩き出された。
凍りつくようなニューヨークを仕事を探して歩く彼女と路上でであうと、「疲れたわ。」とひと言いった。
どこもかしこも、そのようなのだった。ひとりひとりと話すと、年齢の差や、言葉、文化、思想のちがいを超えて、ひとびとは互いを愛そうとしているのが伝わってくるのに、ひとびとは無関心になったり憎み合ったりするのだった。
その夜ひとりで明け方近くまで凍てつくダウンタウンを歩き回った。ニューヨークに来てから五回目の冬だった。そこにもここにもホームレスの人がいた。いっしょに働いているシェフ仲間や友人がエイズで次々に死んでいったのもこの頃だった。