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2021年3月の記事一覧

 目を閉じて、街をさまよっていた。こう言うと人は嗤うが、確かに歩き回っていたのだ。足は街であり、腕は空であった。星は薄い布団をかけて、まばたきすることなく眠っていた。雨のにおいがした。雨。濡れたいと思いながら、靴底をぐちゅぐちゅ言わせていたが、しずくが落ちてくることはなかった。月が遠くで布団を濡らしていた。人々はうつむいていた。あるいは光る手元を見つめていた。喋っていた。誰も彼も、足が速かった。私

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 頭のなかに、影という名の雪が降り積もっていた。真っ白い三つの音が。そう、影の音は三つ。二つではない。だが最初は知らなかった。私は二つの音で呼んでいた。時間は過ぎていった。次第に影は、土と小石と混ざり合い、濁り、その形を失っていった。私は影を呼んだ。だが影は答えなかった。答えぬまま、頭のなかの地面と一つになっていった。のどから確かに声は出た。だが腕は伸びなかった。伸ばせなかったのだ。そんな私に向か

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所有

 一切には、眼前の存在すべてには、悲しみの色がこんなにも濃くへばりついている。どれほど腕を伸ばし、指を絡ませようとも、あらゆるものは消失していく。瞬間瞬間存在は、孕んだ死を産み落とし、この目玉に見せつけてくる。そのまみれた体液の滴る音は、地獄の響きそのもので、空も水も草木も肉も、振りほどけない滅びのにおいをまとっている。消えていくからこそ、なくなってしまうからこそ美しいんだとはどうしても言えない。

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お話

 ずっと疑問だった。なぜ人は、僕と話してくれないんだろうって。逆にどうして空は、月は、草は、雨は、犬は、鳥は、蚊は、宵は、石は、いつまでもいつまでも、眠っているときでさえ、話しかけてくるんだろうって。もう何年も感じ続けて、夜、暗闇のなかであの死を、あのすべての滅びを、絶対的なものを強烈に意識させられたとき、やっと分かった。僕は人間ではないんだと。そうではなくて、空で、月で、草で、雨で、犬で、鳥で、

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なごり

その死骸の
光で透けた輪郭をなぞり
神のなごりを嗅いだ

その死体の
雨に濡れた体温をすくい
神のなごりを舐めた

その遺体の
彼は誰に溺れた息に触り
神のなごりを呑んだ

人々の甘ったるい嘆声と
解剖された存在の脇で

神のなごりに手を伸ばす