“幸せ”は、努力では掴めなかった。
COCOです🎈
幸せな人生を歩みたい。
だから、何でも努力する。
私のモットー、とも言える考え方でした。
充実した人生を過ごしたい。
落ちぶれた人生は御免だ。
だから、今できる努力は、全部やる。
だらけている暇は、ない。とにかく努力。
思えばそれは、小学校のころから。
受験のために、塾に通い、
来る日も来る日も、勉強しつづけました。
晴れて合格、中高一貫校に上がってからも、
これといって打ち込んだものといえば、
目の前に用意された、
勉強と部活という「努力の材料」
勉強と部活さえクリアすれば、
良い大学に行きさえすれば、
充実した人生を過ごせるはず。
信じて疑わず、ここでも必死に努力しました。
頑張っている者が、幸せになれる。
怠けた奴らには、不幸が訪れる。
そう言い聞かせて、努力する日々でした。
地位もお金も手に入れた。
それでも病気になった自分。
そんな努力が実を結び、
いわゆる「難関大」と言われる大学への
合格を掴みとった私。
もちろんその後、就職活動でも大奮闘。
就職したのは、とある大手ベンチャー系企業。
入社するだけで、箔が付くような難関企業です。
ようやく、社会的地位を手に入れた。
安定した収入も手に入れた。
これまで、自分が身を置いてきた場所とは
比べものにならないほどの
優秀な人材に囲まれながら、
切磋琢磨の日々、日々、日々・・・
でも、ある日突然、
努力の結晶で掴み取った仕事のストレスが原因で
適応障害という病に倒れました。
〜
幸せになるために、努力してきた。
でも、その「幸せ」って、そもそも何だっけ?
「勝つ」「達成する」「褒められる」
それ以外の、自分の喜びって何だろう?
学生時代、自分を押し殺して
目の前に用意された「努力の材料」を
ひたすらやり込む日々を過ごしていた自分は、
自分の「幸せ」のカタチが、分からなかった。
負ける時だってある、
息抜きだって必要な社会人人生で、
「努力」が全てだった私は、
病という形で、人生が行き詰まったのです。
本当に大切なことは
自分の幸せを見つけること。
そんな中でも今、胸を張って言えること。
それは「何も努力しない」ことを通して、
「自分の幸せ」を見つけられた、ということ。
〜
病に倒れ、仕事を続けられなくなり、
無職になって、周囲に養ってもらう生活も
5年目に突入します。
その間、最愛の母を、癌で亡くしました。
同年代の友人と比べたら、自由に使えるお金は
雀の涙ほどしか持ち合わせてないし、
立派な実績があるわけでもありません。
もちろん、「順風満帆」な人を
羨む気持ちもあります。
そんな代償を払いつつも、
競争社会から一度隔絶される
「何も努力しなくていい」時間が
私を、変えました。
それも、すごく良い方向に。
「何も努力しなくていい」時間を過ごすことで
勝つも、負けるも関係ない、
自分がただ、好きなことを
模索し、試し、見つけることが出来たからです。
誰が何と言おうと、自分はこれが好き。
これをしている時、
ナチュラルな自分に戻れる感じがする。
もしかして、私が、
小さい頃からずっと追い求めていた
「充実した人生」って、こんな風に
「自分の幸せ」を知っている人生
なのかもしれません。
〜
努力だけでは、幸せは、掴めなかった。
大切だったのは、
自分なりの幸せを見つけることと、
それを大切にする、ほんの少しの勇気。
COCO🎈
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?