菊地信義さんの仕事を語る際にここは外せないというところがあるとしたら
菊地信義さんが亡くなりました。本の装丁で有名なデザイナー。「ブックデザイン」とは言わず「装幀」と言っていました。本のすべてに関わるのがブックデザイナーだとすれば、本の外側・表紙まわりに関わる人を装幀家と呼ぶことが多いです。そういう意識があったのでしょう。
作家性の強いデザイナーというのがいます。この人がデザインした、と見ればわかる人。作風といいますか、書体や色の使い方に癖があって、どの仕事にもそのムードが残っているデザイナー。あまりに個性的すぎて、それを真似るフォロワーがいて紛らわしいこともあるんですけど、そういう癖によってデザイナーの潮流のようなものがあり、デザインのスタイルが生まれる、わけです。菊地さんはどうだったかというと、匿名的な志向があり、一発で見抜けないものもたくさんありますが、「匿名性に向かう」という作家性はあったと思います。アノニマスだな、なんとなく菊地さんっぽい装幀だな、と思うスタイルがあります。
菊地信義さんはイラストをあまり使わないデザイナーで、対比する位置に置くならイラストをかなり使うデザイナーの鈴木成一さんになるでしょう。どちらも売れっ子である点では共通しており、工作舎的なスタイルに当初影響を受けつつ、そこから脱却した点でも似ていると思います。構成しすぎないというか、「構成」を見る人に意識させない、というスタイルです。
で、菊地信義さんの話。菊地さんの装幀の独自性を語る際、「写植」との関係性で語られることが多かったと思います。写植はそれ以前の活版印刷と違って、文字のサイズを自由に設定できる、変形がかんたんにできる、など自由度が飛躍的に高まった点で革命の機械でした。しかし多くのデザイナーは活字の時代を踏襲し、写植機のデフォルト設定の文字をそのまま使うことが多かったと思います。
そうした時代において、菊地信義さんの装幀は、写植のレンズをあえて緩くして文字をボケさせたり、変形を駆使して、文字に浮遊感を出したのが個性的だった……という話の流れがあります。タイポグラフィ史を学ぶと、どこかでそんな話を読んだのではないでしょうか。え、読んでない? おかしいな……。
さて、菊地信義さんの追悼文を書こうとしたのですが、長い文章を書くのはやめて、一つの引用をすることでその代わりとしたいと思います。杉浦康平さんのデザインに多大な影響を受けていた菊地信義さんが、杉浦康平さんの影響から離れられたタイミングについての話を、菊地さん自身が語っている箇所です。ここを外すと、菊地さんのデザインは見えないでしょう。
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2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定です(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。テキストを発掘次第追…
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