「きっと君は傷つく」と言われて。
何処にいても何処に居なくても、もうだめかもしれないって
思うことたくさんある。
人と出会って、すこし距離がちぢまって。
すこしじぶんの領域をわけあうような仲になって。
しばらくたつと。
相手のエリアの何処まで入っていいのかわからない
そんな季節を、迎えることがある。
そんなエリアどこであっても入らないのが正解なんだ
けれど。
わたしも何処か相手のエリアを侵食していたのかも
しれない。
ほんとうに好きなんだなってきがついたとき。
時すでに遅しだったけど。
君は絶対傷つくって言われた言葉を思い出す。
なめられたんやなってちょっと悔しかった。
抗った後結果傷ついたけど。
その言葉はきっと君の書いている小説の台詞だったと
思って、忘れて逃れることにした。
傷つけられた言葉に出会うともっと相手を傷つけて
やりたいという想いにもかられることがあるけれど。
わたしはたぶん何倍にもして返してその関係は
終止符を打った。
打ったのに、わたしはそのことを10年程
ひきずった。
誰かを傷つける言葉は、あたりまえだけれど
無痛症でもない限り、じぶんが傷つくものなのだ。
なんでこんなこと書いてるのかな。
わたしばかだったなぁって、思っているせいかも
しれないし。
今やっていることが誰も馴染のいない人の場所で
やりとげないといけないことの大きさに
おののいているせいかもしれない。
あんなに傷つけられるってことは
それだけ甘えられるってことだったのだと気づく。
傷つけるって甘えなんだなって思いながら。
それは相手にもじぶんにも甘えてる。
noteよんでくださった方ひとりぐらいに
共感じゃなくて、こころ撫でられたぐらいの
想いになってくれたらそれだけでもう充分です。
お読みいただきましてありがとうございます。
きっと エイリアン そうだったかもしれない
わたしの エイリアン 同じ町に住んでる